#281 何も作れなくなった藤原麻里菜さんが、作る楽しさを取り戻すまで

#281 何も作れなくなった藤原麻里菜さんが、作る楽しさを取り戻すまで

エピソード概要

無駄づくりでお馴染みの藤原麻里菜さんがゲストに来てくれました!
7/17に出版された藤原さんの「つくるリハビリ」の紹介をしています。
つくることがしんどくなった時期から、またつくる気持ちを取り戻すまでを沢山の「ワーク」を通じて取り戻していく過程について書かれているのですが、その時のことや制作について考えていることについてじっくり話しました。

■参考リンク

つくるリハビリ 創造性を取り戻すための24のワーク | 左右社 SAYUSHA
https://sayusha.com/books/-/isbn9784865285222

■プロフィール

あずま
インターネットが好き。Image Club主宰。会社でエンジニア・デザイナーとして働いている。犬を飼っている。1991年生まれ。

鉄塔
工作が好き。フリーランスでエンジニアをやっている。猫を飼っている。1987年生まれ。

アートワーク: error403
クリエイター/イラストレーター。耳かきを外に持ち歩いている。


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文字起こし
最初その、NSC、あの芸人の養成所に入った時に言われたんですよ。なんかその、同じ台本でも、ゆっくり大きな声でやれば絶対ウケる。
へぇー、おもろ。
じゃあ、ゆっくり大き…
な…
声でね。藤原さんが、やってきた!
本が出た!
買ってねー!
Image Cast!
Image Cast!
いいんじゃない?
違えんか?
ゆっくり大きな声で。
はい、ということでゲストです。藤原さんがやってきました。
はい、無駄づくりというのやってます。藤原麻里菜です。
イェーイ!
イェーイ!
これの前の回が、公開収録ゲスト回なんで…
あ、そうだ。
なんと2回連続のゲスト回。えー…
すいません。
初ですね。
初っすね。
ありがとうございます。
もう、なんかどんどん、ビッグネームが登場してくるという。実は前回、藤原さんが来たことがあるんですよね。2021年でした。この間調べたら。
めちゃめちゃ昔ですね。
だからもう、5年前とかに参加してもらって、 それから5年、いろいろありましたね。
いろいろありました。
関係性で言うとまぁ。
なんですかね、関係性で言うと。でもなんか、Image Clubを2人がやられてて、それに私もちょこちょこ参加して、無駄なもの一緒に作る仲間みたいな感じでしたね。
Image Clubで発表してもらったりとかも。
Image Clubの記事でもいくつか書いてもらってると思うんですけど。おっきい、イヤホンをめちゃめちゃ絡ませる装置の記事とかも直近って言っても結構前だけど、あるので。
うーん、23年とか22年とかですかね。有線コードのイヤホンを入れてボタンを押すと、もうぐるぐるマシンが回って、 コードが絡まって出てくるっていうマシンを。
最高のマシンをね。
私が、ちっちゃいので作ったんですけど、 あれを展示用に大きくしたくて、鉄塔さんにちょっと設計を巨大化してくださって、で、めっちゃ頑張って作って。
頑張りましたね。
いまだにあの、家の倉庫に置いてあって。
邪魔ですよね。
あれから多分2回ぐらい引っ越したんですけど、 もう引っ越し屋さんに、これはあの、なんですか。引っ越しで見積もりするときに、なんか書くじゃないですか。洗濯機1個とか。
品目がね。
あそこに、これってなんて、なんて書けばいいですか。いや、これはあのマシンなんですけど…
あ…
あ…
あ、あ…
美術品で大丈夫です。美術品100万円以上とか高価なものですか?
とか。いや…
あの…
そんな高価じゃないんですけど、みたいな。
難しいですね。
だから扱いに困る。
藤原さんの引っ越しって、引っ越し業者さんめっちゃ悩みそうだな。
めっちゃ大変そう。
そう、品目には入らないものがたくさんありそう。
ちょっと変なものがいっぱいあって。
いやー、でもまだ残ってるのすごい嬉しいですね。そう…
残ってます。
そんな時代も経て、5年後、もうね、我々も子供も生まれ、藤原さんもご出産おめでとうございます。だいぶいろいろ変わりましたね。
変わりましたね。
そして、そんな中で、藤原さんが本を出しました。
出しました。やったー。やったー。7月17日に、左右社から出まして、つくるリハビリという本です。で、サブタイトルが、創造性を取り戻すための24のワークっていうので、なんかまあ私、5年、いろいろあったんですけど。
いろいろあった。そのいろいろちょっとね、これからいろいろ聞きたいですけど。
え、前、収録したのは2021でしたっけ?
たぶんそうですね。
ですよね。たぶんその頃、めちゃくちゃもうやばくて精神状態が。でもう本当に何にも考えられない感じだったんですけど。
それでもうなんか何にも考えられなさすぎて、なんかもう無駄づくりってずっとライフワークでやってたプロジェクトのアイディアも考えられないし。もう何かを作るってことがそもそも無理みたいな状態になって。もう明日何をするかみたいなことさえ考えられない。
もうなんかもう創造性がもうゼロになった状態が結構続いて。でもやっぱ自分の中の基礎にあった部分が、クリエイティビティがこう自分の人生ずっと動かしてきたからすごいそれは苦しかったんですけど。
どうにかなんかそこの思いつかないってところから脱出しようといろいろこうリハビリをしていって、なんかまあようやくちょっとずつ作れるようになってきたってところを24個のワークを通してこう書いていったっていう本なんですけど。
これね、あの私たちもちょっと一足お先に読ませていただきまして。
ありがとうございます。
まあでも本当になんかこうリハビリっていうのが言い得て妙というか。最初の方でも結構ズタボロになってる藤原さんが徐々になんかいろんな工夫とかなんか実験とかを繰り返していく中でちょっとずつものを作ることを取り戻していくみたいな。
24のワークって言ってるからちょっとお役立ち本みたいな感じに見えるかもしれないけど結構読んでみるともがいた軌跡というかなんか藤原さんが回復していくまでのなんかログみたいな。
本当そうなんですよね。私が本当なんか個人的な記録でもあるし、でもなんかこう自分がその時にこういうことすればって言ってくれる友達がそばにいたらめっちゃ嬉しいだろうなって気持ち。
なんでこうなんかまあ私は精神的にこう落ち込んでこういうリハビリっていうのをしてるんですけれども。その人にもぜひこういうことすればっていうのが書いてあるのでよかった、読んでほしいなと思うのと。
なんかImage Castに読んでほしいって私は今回めっちゃ頼んだんですけど。
そんな頼み込まなくても一言声かけてくればもうどこでも行きます。
それは本当にあずまさんのなんか話を、結構Image Castずっと聞いてて、ちょっと落ち込んだのと自分の創造性との苦しみみたいなの…結構聞いてたから、なんかこれ書いてる時に結構聞いてたんですよ。
本当ですか?
だからなんか…わっ…
すごい貢献している。
なんかね、なんかこう私だけじゃなかったんだみたいな、この苦しみみたいなので、なんかちゃんとこの一冊書こうと思って書いた部分がありました。
いや、マジで世の中にはこういう本がもっと必要だと思いますね。
本当にもがいた時の記憶みたいなものが本になっているのって意外となさそうというか、単に美談にされるようなことは結構あるかもしれないけど、本当にこれで苦しんで、それをこうやって抜け出したみたいな話が、これでもかというぐらい濃く書いてあるし、ワークっていう、
なんか方法論っぽいニュアンスのところもあるけど、その方法一つ一つが、ちゃんとこれをしてこうなって、こういう気持ちになったっていうのをセットで全部書いてあるのが、ただの何、
ワークっていう軽い言葉ではないというか、作るっていうことを取り戻すことの、言ってみれば情熱って言うと、ちょっと言葉がチープな気がするんですけど、作りたいという思っている自分自身を、なんかすごく大事にしてるんだなというか、それがなんかいいなというか、
胸を打つものがあったなと思いますね。
本当にいい本。
ありがとうございます。
なんかその、弱ってる時に頼りにするべき本みたいなものって、例えばその、医学をやっている方が書いたような、医学的な根拠に則って、こういうデータがあるので、こういう風な休み方をしましょうみたいなのはもちろん、それはそれで必要だと思うんですけど、
この本は結構こう、徹底して一人称で書かれている感じというか、私はこういう風な、私はこういう風な、私はこういう風な傾向があるから、私はこういう風な傾向があるから、だからこそこういう風なことをやってみたら、こんな気持ちになったみたいなのが、ちゃんとこうあるのが、すごいこう、
まあN1ではあるんだけど、それがすごい大事だし、それこそ刺さるみたいな人は、結構いそうだなと思いますね。
いや、そう、そう、一人称だからこそ、みんなに伝わるんだろうなっていう感じがしますね。
そうなんですよね。なんかまあ、結構つくるリハビリで、なんかこう、クリエイティビティを取り戻そうみたいな、目的で書いたんですけど、でもなんかこう、最終的に、別になんか、あずまさんが多分Image Castで言ってたのが、作れない自分でいるのが嫌だみたいなことを。
自分がこうなってくる過程の中で、作っていてこそ自分みたいなアイデンティティを、自分で刷り込んでしまってるから。
で、私はめっちゃそれに共感して、自分も、その時は結構回復した、放送を聞いた時は、多分回復した後だったんだけど、振り返って、私も絶対そうだったっていう風に思ったんですよ。
無駄づくりっていうのは、もちろんなんか職業っていうか、まあそれでお金稼いでる部分もあったから、まあそういうものを作れなくなった自分は自分じゃなくなるみたいなのが、やっぱすごい、そういう強迫観念みたいなのがあって。
なんか面白くない自分で、面白くない自分は自分じゃないから、今のそのちょっと憂鬱で何も考えられなくてアイデアが湧かない自分は、もう自分じゃなくなってしまったから、今後一切誰にも褒められることがなく死んでいくのだみたいな。
俺は終わったみたいな。
もう、これで私は誰からも褒められないみたいな。なんかそう、絶望があったんですよ、本当にその時。で、それがやっぱ一番苦しくて、でもなんか、超つまんない自分をめっちゃ認めてあげる練習をして、本当にこう、
布団が吹っ飛んだしか言えない自分をちゃんと認めて。
布団が吹っ飛んだしか言えない人っていう、面白いけど。
布団が吹っ飛んだしか言えない自分でも、とりあえずいいじゃんっていうので、とりあえずその自分の面白くなさをちゃんと認める練習をめっちゃやっていくと、面白くない自分も自分であるっていう、そういう、当たり前は当たり前なんですけど、
そういうところにちゃんとこう、心の底から自分を肯定できるというか、そういうのができるようになって、ようやくなんか、一個スタートライン立てたというか、じゃあ、面白くないけど、なんか作ってみよう。料理作る回があるんですけど、本の中で。
めちゃくちゃまずいものが出来上がってもいいから、料理作ってみようみたいな。
ルパーチューでしたっけ?
ルパーチューっていう、料理の名前を先に作って、材料とかは適当にスーパーで買って、もう、失敗前提でルパーチューっていう、正解のない料理を作るっていうので、っていうワークをやったんです。
そもそもなんですけど、よく思いつきましたね。
これがでも、私のすごいとこかもしれないですね。
そうだと思いますよ。
いや、それは本当にそう。
ギリギリの、枯渇した状態でもルパーチューだけは思って。
いや…
結構すごいなと思って。
それはなんか、すごいなと思いますね。この、24個のことを、ボロボロの状態でも、それでもなんか、自分にこうしてみては、みたいなことを提案できる。
そう、そこがちょっと、私の天賦の才だったかもしれないですけど。でも、本当、最初は本当、ジャーナリングとかめっちゃこう、よくあるところから始めて、だんだんこう、自分をなんか、放出できるようになってから、
ルパーチュー作ってみようとか、なんとかをしてみようみたいな感じで、やっていったって感じなんですけど。でもこういう感じで面白くなさとか、できなさみたいなのを、一個一個、
認めてあげることが、真の自分の面白い生活につながるのかな。
自分だけが、気持ちいいから、物を作るとか、自分だけが嬉しいから作るとか、もうなんか、そういう意味もなく作るみたいなところに、たどり着くために普通、子供って最初はそういうところから始まるじゃないですか。
そっから出発して、大人になっていくにつれて、かっこよくないといけないとか、おしゃれじゃないといけないとか、面白くないといけないみたいな感じになっていって、で、面白くて褒められるから、自分なんだみたいな感じで、
変わっていって、どんどん面白くないと作れなくなるとか、かっこよくないと作れなくなるみたいな感じになっていくのから、またその、子供の状態に戻るまで、こんな苦労が必要なんだっていう。
マジで本当その通りで、この本を通して赤ちゃんにただ戻っていってるだけなんですよ。つくるリハビリって、最初のスタートが、つくれなくなってしまった自分はもう褒められない、社会にとってもう何の価値もない人間なんだってところから、
でも、別につくるってなんでつくってたかというと、なんかハンダ付けって、ジュワッてハンダが溶けて気持ちいいから、なんかハンダ付けってずっとやってられるし、なんか粘土でこう形作るのも、粘土の手触りが気持ちいいからやってたし、
っていうなんか根本的なところがあったのに、だんだんこうなんか、面白いものを作ったらみんなから褒められるからとか、お金がもらえるから…
いいねがつくからみたいな。
いいねがつくからみたいな感じで、やっぱそこの自分の手触りとか、五感の気持ちよさで作ってたところがやっぱ飛ばされて、なんか外在的にある、社会的にある社会的な価値みたいなところに、なんか全部その自分の感覚を委託しちゃってたなっていうところに気づいて、
もう赤ちゃんに戻ってって、社会と、社会はどうでもいいみたいなところをどうなんか割り切れるかみたいなところを、すっごい苦労したって感じです。
大人の藤原さんが、その五歳児ができることをできるようになるまでみたいな。
五歳児になるまでって感じですね。
いやすごいなぁ。そういうと戻ってるって言い方もできなくはないけど、なんか実際、できたそれで今作ってるものが、五歳児でも大人でも作れないものを作ってると思う。
そこの、一周回ってはいるのかもしれないけど、多分元いたポジションではたどり着けなかった境地に、結局結果的にはなんだろう、戻ってるとかではなくて、たどり着いてるのかもしれないなぁと、外野ながら思ったりしてますね。
僕好きなのは、隙間時間にポツンになるっていう。一人になった瞬間に、こうスマホを取り出したりとかするんじゃなくて、一人になった瞬間に、その自分の頭の中でポツンと言ってみるみたいな。
結構発明の塊ですよね、この本。
なんかほんとね。
ポツンと言ったら、ポツンとしたことをしないといけない。座ってるみたいなとか。スマホ出したら、スマホ出したらポツンじゃないからみたいな。
そう、本に書いてあるのは、こうドリンクバーとか、友達とファミレスにいるときに、友達がドリンクバー取りに行ったときに、だいたいなんかスマホをスッて取り出しちゃうんですけど、
取り出さずにポツンってするとなんかスーってなんか暗い中に一人だけなんかいるみたいなイメージになってそうするとなんかこういろいろ考えがなんかどうでもいいこと考えられるようになるよねみたいな感じです。
逆になんかその普通の人がいかにその一人になることが難しいかみたいな、この社会で。
そう、でもそれはすごい思いますよね。こう何か作るとか、きっかけってやっぱり自分の頭の中でめっちゃどうでもいいこと考えなきゃいけないと思うんですけどなんかスマホとかインスタとかね、見てるとどうでもよくない情報がすっごい入ってくるじゃないですか。
常にその世界は一大事じゃないですか。いろんな人が傷ついていたりとかその意見がぶつかり合ってたりとかそれぞれにとってはそのすごい一大事イベントが常に起こり続けているっていうことに 真面目に向き合おうとするとその人がその人のことを考えるのってもう無理やんみたいな。
本当そう思います。なんか私、Xを2年ぐらい前にもう見るのやめたんですよ。
お、ようこそ。
2年、覚えてますね、24年の10月に全部フォロー外して…
フォロー外すまで行った。
タイムラインも、もうキョロちゃんとドクターXだけフォローして…
それは面白いと思われようとして。
いや…
キョロちゃんは本当に好きなんですよ。私キョロちゃんが一番大好きなんですけどドクターXはドラマ超大好きだよ、米倉涼子の。
単純に愛をそこに。
そう、ドクターXの情報はちょっと知りたいなって思うのでその2つだけ。で、あともう全員フォロー外してで、タイムラインも本当見ないようにしてもう2年以上、2年ぐらい過ごしたんですけどやっぱなんか、そう、
やめてこう思ったのはどうでもよくないことでタイムライン溢れすぎててしんどかったんだなっていうのは思いました。なんかもっと昔のTwitterとかってなんかどうでもいいことばっかだったじゃないですか。
本当にそう。
パンが美味しいとか今日牛丼食べよとかそう、どうでもよさで溢れててそのどうでもよさが多分好きだったんですよね。でもやっぱりどんどんどうでもよくなってで、この人からこういうこと言われてひどいとかうん。
すっごいどうでもよくないなそれみたいなことがやっぱどんどんどんどん多くなっていくと やっぱなんかキャパ超えちゃってそれでやっぱ脳のリソースとか考えるリソースが割かれちゃってうん。っていうのは思いました。
2011年の大震災以降でこう、Twitterが当時その いろんなことをまあその情報網がこう切れたりとかしてたからうん。ソーシャルメディアとしてなんか情報を広げたりとかするための有用なツールだみたいな感じで受け止められるようになってうん。
で…
そのタイミングあたりからちょっとなんかどうでもいいことを書いてるなんて不謹慎なんじゃないかみたいな…
一瞬ありましたよね。
気楽なことを言ってちゃいけないんじゃないかみたいな感じの空気はあってなんかコロナ禍以降だったりとか、戦争が起こったりとかそのタイミングで結構断続的にそういう波…
というかうん。そういう流れになったって感じはありますよね。
なんかそう思ってる人自体は結構いるかもしれないけど実際にそれで離脱するっていう選択をちゃんと自分のためにやれたっていうことがいや…
本当にそれはね。
なんかすごいすごい。すごいです。
僕も見てないんですけど僕は別にその仕事で使ってないんですよ。Xとか、その生活に支障はないんですけど藤原さんはそのSNSで面白いことを出していくっていうのは結構そう。飯の種になってる。
飯の種なんです。なんでこう、やめる、アカウント消したらもう食べていけないかもしれないみたいな。
収入減るぞみたいな、リアルなやつがありますよね。
いくら減るんだろうみたいになっちゃうんでアカウントで、アカウントで、アカウント消すなんてアカウント消すなんて、もうそんな勇気のあることはできなかったんですけどでも結構世間の流れとかも、やっぱりちょっとみんな離脱してってるイメージはちょっとあるんですね。
Xで、企業とかもXでどんどん広告出してキャンペーンやっていくぞってよりかはなんかもうちょっとこう、インスタとかYouTubeとか、そっちに流れてってる感じはするのでなんか自分も、まあその流れに乗る感じかな。
インスタとかは結構見てるんですけどでもなんかYouTubeも、もうなんか最近あの、おすすめに表示しないみたいなの、めっちゃもうできるんですよね。いやだなーって動画が流れてきたら、おすすめに表示しないみたいな。のでもうどんどんアルゴリズムを整理していって、情報をなんか、どうでもいい動画も変わってくるよね。
ニュースとかを全部もうブロックしてYouTubeのなんかニュースって結構なんか刺激的な刺激的な、感情揺さぶるような…
まあね、結構悲惨なニュースだったりとかなんか人がこう、なんだろう、こう一言物申したくなるみたいな。
こいつが悪いとか言いたくなっちゃうよな。あと、そうニュースサイトも、もう特定のアルゴリズムとかおすすめとか、なんか出てこないニュースサイトだけにして他のニュースサイト絶対見ないやって、もうなんか整理しました。
っていうのも、なんか私がその憂鬱になったのが、最初がもうパニック障害だったんですよ。動悸がすごいバクバクしちゃって…
心臓が。
そこからこう、どんどんどんどん気分が落ちてったって感じだってなんかいろいろ、その時も私なんか、いろんな本読んで、怖すぎてなんか、なんでこうなってるんだ。体のメカニズムが分かんなすぎ…
て心理療法的な。
そう、なんか結構認知行動療法とパニック障害と言うんですけどそれでこう、いろいろ言われてるのがこれは本当か嘘か、医学的根拠とか分かんないんですけどなんか扁桃体の異常みたいなのを私は信じてて扁桃体。
扁桃体ってサバンナとかにいた時代からこう、人間にあってどう猛な、動物とかがワーって来た時に扁桃体がやばい、逃げろみたいなので、バクバク心臓バクバクして体に指令を出す部位なんですけどもう今安全なのに、
まだあってそれがやっぱ情報とかが多すぎるとめっちゃこう扁桃体がアラームになっちゃってやばい、命の危険だみたいな風に体に発信しちゃうみたいなのがあってそのパニック障害とか不安障害とかは、結構その そこがちょっとバグ起きちゃ…
ってるみたいなちょっと…
ずっとなり続けちゃってる状態みたいなものを読んだんですよ。でもこれは確かにそうかもと思ってで、なんかその、自分を危険だって思わせる情報から身を置くようにしようと思ってちょっとこう、例えば記事とか読んで、
ちょっとバクバクみたいなのがあったらもうそれ全部ブロックして、情報全部見ない見ないっていう風にしてて…
すごい自分のこのセンサーをちゃんと使…
って情…
報を弾くようにする…
っていうのをやはりやってました。っていうのもあって、Xは全部見なくなってそうですね、ニュースとかも特定のサイトしか見なくな…
ってなんか異常なのかもしれないけどでも実際にそれを見たくなかったのも事実なのかもしれないですよね。なんとなく。
なんか不思議ですよね。そう、なんか例えばすごい悲惨な、子供がなんか悲惨な目にあった事件とかをニュースで見ると、なんかおすすめ欄に なんか次、このニュースも興味あるかもみたいな同じようなひどい悲惨なニュース…
がクリック率がね、高いものってそうですからね。
なんかあの仕組みのニュースサイトめっちゃ多いじゃないですか。
わかるわ。なんかあのLINEのあの上の、LINE開いた時に上の方に出てくるニュース結構そういうの多くてなんか俺、友達と連絡取ろうと思ってLINE開いた時になんで子供が死ぬニュース見せられなきゃいけないなとか。
怖いですよね、あれも。
しかもそこ開くと、他の悲惨なニュースが出てくるんですけどなんか3年前のニュースとかだったりするんですよ。悲惨さゆえになんか常に上の方にアップされてるけど、もはやニュースでもないみたいな。
なんか2019年とかのニュースとか。そう、なんかそういうのもあって、なんかそれって見たくないのに見ちゃうんですよね。なんかそういう、怖いですよね。見たくないのになんかクリックしちゃうような。やっぱそういう仕組み乗ってるから、もうそれはもう自分で全部、あのブロックしてこうと。
僕もAdGuardを入れてLINEにニュース出てこないようにしてます。
大事ですね、あずまさん。
でもそういうニュースから遠ざけてくれというシグナルを、ある意味正しく発信してたのかなっていうような気もする。
そうですね、体がちゃんと反応しているっていう。それがしないままぱったりみたいな場合もあるだろうし、逆になんかタフだから大丈夫みたいな人、常にそれを受け続けてるわけだから、それに慣れてしまうって、それはそれで、なんていうんですかね、自分の感性がこう鈍っていくみたいなのもありそう。
確かにそうですね。
そこAdGuard入れまくってるんですね。
そこAdGuard入れてますね。
いやー、僕鈍っちゃってるのかもしれない。
見てもそれが平気になっちゃうってことは、結構やばいことなんじゃないかなって。
怖いですよね。なんか私も、久しぶりなんかでTwitterのホームみたいな、見たんですよ、タイムライン。
結構やばいっすよね。
なんかもう怖くて、なんでみんな怖いことこんな言ってんのみたいな。これ知らない人にこんな怖いことみんな言ってんのおかしくない?みたいな。
ちょっと普通の社会じゃねえだろっていう感じになっちゃってるし、そこなんか、そのやっぱ今までというかここ15年ぐらい、インターネットで受けるってことがイコールTwitterで受けるってことだったじゃないですか。でももはやあんまここで受けたくないなみたいな。
めっちゃわかります。
なんかね、結構僕にとっては終わっちゃった地元みたいな。
あー、でもわかる。
そこで生まれ育って、まあ愛着みたいなのあるけど今の姿はちょっと見てらんないし地元ここですって言いたくないなみたいな感じでめっちゃわかる。というのを考えて、もうTwitterで受けようとは思わなくなりました。
寂しいですね。
寂しいかもしれないですね。それだし、その数としてはやっぱたくさん見てる人が多いわけです。
Blueskyはどうですか?
Blueskyはすごいですよ。
すごい。
すごいあのー、おすすめですよ。無風なんで。時々なんか100いいねとかもらえたら僕にとって大バズり。
でもなんかわかります。なんか私もなんかインスタとかで何万人からいいねもらうよりかなんか親しい友達向けにちょっと面白いストーリーみたいなのあげて友達から3いいねとかもらうのが嬉しい。なんか満足。
顔が見えて性格がわかっている人からの方がある…
しこの人から認められたみたいな方がある。
ちょっとねなんか、全体的に数にとらわれすぎているというか何人に受けるっていうのがあまりに絶対的な指標になりすぎている気はする。
いやー、それは本当ありますね。
本当に自分にとって嬉しいことは何かとかもうちょっとちゃんとみんななんか考え直した方が確かに。
まあでも、バズったことない人にはその感覚わかんないかもしれないなとも思うけどというか、何度も何度もバズった上でのそういう気持ちがあるような気がしてバズったことない人にとっては、未だにバズは輝いているような気がする。そうかもな、逆に。
あー本当ですか?
なんじゃないかなと思うけどでそれにある意味飽きるほど多分バズった後で、そう思うのかもしれないなっていうちょっと思った。そうでもない?
藤原さんはもうね、バズりにバズり、バズり散らかしいバズるって下品な言葉ですよ。
恥ずかしいですよ。
そうか、えっと違う言い方した方が…
あんま言わなくなりましたね、バズるとか。恥ずかしいから。
僕はそんなバズったことがないから、なんていうかいや1万いいねもあったらやっぱ嬉しいよなって、心の中で僕はまだ思っちゃうところがあって嬉しいですよ。
めっちゃ嬉しいんですけど、やっぱなんかそれをやっぱ目標にしちゃうというかそれは違うじゃないですか。1万いいねの…
ために今思いついたことを形にするにあたって、これは1万いいね行くだろうかみたいな変な外部の指標が自分の中に内面化されちゃう。
でもなんかこれはなんか私にとっては1万いいねなんですけどまあ人によってはなんか、まるまる先生から褒められるだろうかとかもしかしたらなんかこれで昇進できるだろうかみたいなことになんか置き換えられるのかなと思うんですけど やっぱそういうこう呪縛みたいな、自分が何かをやるにあたって自分がコントロールできないことに…
が指標になってると、やっぱそこでモチベーションというか それがモチベーションになってると自分の大切な部分とか本当の情熱みたいなところがどんどん置き去りにしちゃうんでこの作るリハビリの中で、
本の中で書いてるのがやっぱりその他人から褒められるために何かを作るので 一番大事なことって自分のスキルとか自分がどんだけ面白いものを作るかじゃなくて褒められる人をどれだけ用意できるかっていうことにかかってるじゃないですか。
やっぱその自分が作ったものを人が褒めてくれるか褒められないかってなんか自分ではコントロール下に置けないことだからやっぱそこを評価にして何かを作るっていう風にするともう自分がめちゃめちゃ置き去りになっちゃうからとりあえずそこをどれだけ切り離せるかみたいな やっぱりこう人間だから、作るとか何かをする自分の行動で誰かから褒められたいとか承認されたいっていうのは、
もう切れないものではあるんですけどもやっぱりなんか行動するときに、見ないフリをどれだけできるかみたいなところがなんか自分の課題だったなと思って。
しかもね、受けるのが仕事と直結しちゃってるとより抜け出せない。
そうなんですよね。それがあって…
結構そのものを作ることを、ものを作ったりとか発表したりとかするのをやっていてやめていく人のマインドって、結構そういうの近いのはあるのかも。
僕はインターネットにものを作って発表して受けるみたいなのが嬉しくてもともとやってたりとかしてたんですけどなんか最近なんかもう発表の部分をやらなくなってきてて なんか作るだけ作って、鉄塔さんに喋っておしまいみたいな。
でもなんか結局それで満たされるところはありますよね。
そうなんでしょ。
なんか自分もなんか作って夫に見せて、できたつって夫がなんか苦笑いして終わりみたいなこともあります。あー、そうなんだ。
めっちゃいい関係性じゃないですか。
あ、これこう、ここ開くんだ。そう、これここ開いて、ここボタン押すとか、ふーんなんだ。
面白い。
それ見たいなめっちゃ。
なんかでも、その興味を持たれすぎないことによって安心して見せれるみたいな。
確かに確かに。
なんかわかる気がするというか…
期待されてないから…
ものすごい喜ばれると、それはそれでちょっと見せるのしんどい可能性あったかもしれないけど…
期待が大きくなってしまう。
ちょうどいいのありそう。
でもなんかマジで子供ですよね。なんか自分の子供性をちゃんと大切にした方がいい。なんか子供も絶対なんか来た親から期待されて次はどんな工作作ってくれるのかなって言われたら絶対なんか作らなくなるじゃないですか。
それよりかなんかなんか皿とか洗いながら、パッてお母さんに見てあー、すごいねーって言ってもらえるほうがなんか心が楽っていうかもっと見てよっていう方がちょっと次も作ろうって気持ちになるっていうか。自分の子供性を大切にしてこう。
コントロールしてできる部分をコントロ…
ールしていくみたいななんか子育ての話みたいになってきますけどその褒めることの害があるみたいな話もちょいちょいあるじゃないですか。なんか褒めすぎると、褒められることが目的になるみたいなのもあるし褒められる程度の、なんていうか褒められないと続かないという 立場の弱い人間というポジションに置かれているという風に解釈するというかなんていうのかな。
褒めてあげなきゃいけない立場って、すごくある種見下されてるというかでも、それへーすごいねって流されるのはなんかむしろ対等に近いというか興味があんまないから、興味ない態度を取っている方がむしろ無理がないしそのぐらいの距離感じゃないと 自分の判断で物を作るってなりにくいというかなんか褒められるとなんか相手に振り回された存在になるし で、無視されてもモチベーションにならないしその間のいいところっていうのがあるような気がします。
まとまってるかな。でも…
なんかわかります。こっち娘がまだ赤ちゃんなんでなんか何しても褒めてるっていうか向こうには伝わってるかもあるんですけど、褒められる。
寝返り打っちゃうもう…
それがすごい、天才じゃんみたいな。昨日とかはチートス食べたんですよ。あのスナック菓子のチートスをこうボリボリとソファーで食べたら娘がもうなんかはぁ、はぁみたいな。なんか目の色変えてチートス興奮する。初めてチートス見てすっごい興奮して娘が。
で、私の家のソファーは結構段が低いローソファーなんですけどでも上がったことはなかったんですよ。娘まだずりばいぐらいの段階なんで。でもチートスをなんかこう掴もうとして手を伸ばしてで、
なんか奥娘に取られないように奥にやったら登ってきておー…
すごい。人生初のそう…
ソファー登ったーってなって。
チートス目当てに。
すごい娘がチートスがあるとソファー登るって言ってなんかそれちょっとコントロールしようとしてここに、ここにあるからこっち来なーとか。コントロール、誘導して…
誘導してね。
誘導してコントロール誘導してとかしてなんか今はそういう言葉通じないからこう、自分のコントロール下にいろいろ置けるけどなんか、いつのどのタイミングでこうコントロール下に外れていくんだろうみたいなのなんか不思議。
なんか外れたりなんだろう。逆に 扱いやすくというかなんか言うこと聞いてくれる言葉が通じると言うこと聞かないことと言うことを聞くことの両方ができるようになるから。それはまあどうですかね?
まあ楽になるか大変になるかで言うと、ちょっと楽になるかもしれないけど、別の戦いがまた始まるって感じですよね。
へぇー。
あと、最近僕の子供はあの、ザ・メイキングを夜見たがるのよ。
え、なんですか?
ザ・メイキングってなんかYouTubeでチャンネルがあるどこだったっけ?なんかサイエンスチャンネルっていう。
あー、なんか教育っぽい。
そう、国系の何かがやっている教育チャンネルで、いいやつなんだ。その中でシリーズで、何々ができるまでみたいな…15分の番組がなんか200個ぐらい流れてるんですよ。
へぇ。
銅像ができるまでとか。
楽しそう。
なんだっけな。ミルクレープができるまでとか。
楽しそう。
あらゆるものができるまでの工場の様子が出てて、で、それはあの、子供にも見せたいなとは思ってたんですけど…最近もう寝る前に、これ、これとこれ見るみたいな感じで…俺としてはしめしめみたいな感じなんですけど。
教育的な いいものを 好んでみてくれ。
でもなんかそうなるように仕向けているんじゃないだろうかみたいなのもあり…
その なんか 子どもを コントロールしてるのでは。
寝る前に1個だけだよみたいな感じで、あたかもご褒美みたいな感じで見せることで…全部じゃない、ソシャゲみたいな感じでちょっとずつ、小出し小出しで毎日出すことで、癖にさせてるみたいな。
確かに、それがいいのか悪いのか分かんないですよね。
操作してるよな、俺って。
どうせコントロールできないから、そのぐらいできたとしても、いいんじゃないですか。
確かに、そのぐらいのコントロールは別に。
実はしてたんだよって、後で言ってもいい。
実はお前は全部操作されてたんだよって、仕組まれてたんだ、君がこういう人間になることはみたいな。
いやー、でも操作されてる部分もあるしな。
私、自分の親とかをこう、顧みるとなんか、操作されてたなーみたいな部分はありますよ。ありますね、私は。父親が結構音楽好きで、なんかそういうクリエイティブな…
よくあるエピソードですよね。クリエイターあるあるみたいな。親があんまり別に自分で聞こうとしたことはないんですけど気がついたらなんか、ジャズが流れてたんですよね。
そんな感じで、なんかもう、家で絶対朝起きたら母親も結構そういう音楽が好きだったんで母親が、だいたいなんかビーチボーイズをずっと朝流してて…
文化資本じゃないですか。で…
そう、うちの父親はなんかCDと本は買い放題だったんですよ。
えぇー、すごー。
ねだったら絶対、CDと本だったらいくらでも買ってくれる。
めちゃめちゃいい環境。
そういうの絶対こうなるように仕組まれてたなーって思ったんですよね。漫画は買ってくれないから、じゃあ小説とかになるし。CDも、なんか買ってくれるんだったら買ってもらった方がいいなーって。
まあでも親がある程度それ好きじゃないとできない仕組みですよね。ただまあ、自然と言えば自然だけど仕組まれてもいる。
まあ教育って全部そうだと言えば言える。
うん、まあでも親が興味ないのに教えようとするとだいたい失敗するんじゃないかなって気はしててあー、
英語とかそうです。
うん、そうじゃないタイプの仕組み方は成功するのかもなっていう。シンプルに遺伝と思ってもいいんじゃないかなと思いますけどね。何仕組みます?
何仕組んでいこうかなー。
仕組みを仕組みましょうみんな。
仕組んでいこうか。
人生を。
自分の子供の人生をコントロールしよう。
絶対コントロールできないけど。でも一応コントロールしようっていう風な気持ちを持つことが大事なんですかね。
うん、いいと思いますよ僕。敬意を持ってやれば。
いや、めっちゃ難しいですけどね、そのバランスが。
うん、
ちゃんとリスペクトはない
とでもなんか一番その、まだ赤ちゃんなんでも全然興味とか全くわからない状態ですけどなんかスポーツとかに興味持ったら私も夫も全くスポーツ経験が
ないし
なんか何の興味もないんですよスポーツに。どうしようみたいな。サッカーやりたいとかサッカーの試合見に行きたいとか言われてなんかほんと興味ないけど連れて行くじゃないですか。子供が行きたいって言ったらなんかそういうのが
でもなんかポップコーンとか売ってんじゃないですか。
これ、
これ食べて
これ、何がどうなったら何が勝ちかも子供に聞いてまあ、
同じスタートラインで楽しめる良さはあるかなって気がしますけど。
でもなんか私、それ思い出したのが超マセてて小学校の時にSAKEROCK、星野源のバンドがめっちゃ好きであの、東京までライブ見に行きたいって言って鶯谷のキネマ倶楽部、
小6とかでお父さん連れてってもらっていてお父さん全く興味ないのにずっとSAKEROCKのライブ一緒に見てくれてました。
いい話。
いい話だ。
なんか自分もそういうことをしなければと思いましたね。
でも本当そういうのは結構あるなと思います。なんか親が子供に対してできることってなんかそういう子にやってごらんみたいなのもあるけど基本的にはもう子供の好奇心を殺さないことだけだなみたいな確かに。のはめっちゃ思うんですよね。特になんかこれからどんどんAIが全部教えてくれるになるじゃないですか。
多分なんかその持ってる情報量の差とかじゃなくてなんかいかにその学びたい意欲を失わずにいられるかとかなんか知りたいみたいな気持ちを 殺さないまま大人になれるかみたいなのはめっちゃ大事だなとは思います。
じゃあそう思います。なんかそれでも子供だけじゃなくて、なんか自分も本当そうだなと思います。本当にAIで何かを失敗することがなんかどんどん恥ずかしくなっているような気がして、なんかそういえば、
なんかYouTubeとか見ててもこういう家を買うやつはバカみたいな、なんか100選とか100選とか、こういう中古物件買うなみたいな。なんか失敗だらけのなんとかみたいな、
なんかそういうなんか本当失敗するやつバカみたいなものをなんかめっちゃそういう動画とか流れてきたりするし、なんかちょっと調べればわかるじゃんみたいなことが多すぎて、なんか調べずに失敗した自分がすごいどんどんバカだってなっちゃって。
でもね、藤原さんの作るものってかなりの割合がこう調べずに失敗するという行為が、なんか作品として紹介されてる感じがしますよね。
そうなんですよ。そうなんですよ。無駄づくりってプロジェクトでは、もうガンガンこう無駄なもの作って失敗して面白いってなってるんですけど、なんかこうプライベートで例えば、なんか子供生まれるからって家買ったりとかしたんですけど、なんかそういうのとかもなんか、もしかしたら失敗しちゃったかも、
この家私騙されたみたいなのとか、結構なんか大きな人生の節目とかで、そうなんかめちゃめちゃこう失敗したかもしれないとか、失敗した私はちょっと調べれば、AIとかに聞けばすぐ分かる、答えが分かったのに、
なんで私はこんな非効率なことをやってるんだろうみたいな感じで、なんかどんどん失敗のハードルが上がってって、それがなんか行動を避けちゃってるような気がして。
でもこの作るリハビリの中でも、なんかこういかに自分でちゃんと失敗をやるかみたいなのが書いてありますよね。
そうなんですよ。意識的に失敗していこうと思いました。
なんかやってみてダメだったみたいなのを、いかにたくさんやるかみたいな なんか書いてあって、すごい印象的だったのは完成させることで、なんか自分の可能性を潰していくみたいな、それが大事なんだみたいなのが書いてあって。
ありがとうございます。可能性って潰してなんぼだと思って。
それね、すごい誰も言ってないけど可能性を潰せと思うんですよ。
だから本にも書いたんですけど、なんかもう自分はずっとなんか女優になりたい欲求が小さい頃からあって、ずっとなんかお芝居やりたいと思ってたけど、お芝居やらずにここまで32歳になっちゃって。でも、でもお芝居やってないか、お芝居できるかもしれないという可能性があるから、常にね。
そう、常にあるから、例えば朝ドラとか見てても、私の方が絶対この役できるわみたいな。なんかそういう可能性があるからこそ、できるわ。なのにこの女優が、なんかそこまでは思わないけど、なんかそういうの嫉妬じゃないけど、なんかそういうの多分ある。
ありますね。
できないっていうのをちゃんと、なんか可能性を潰さないと、次に絶対つながらないと思うんですよ。
なんかビシバシ可能性を潰していこうみたいなのって、なかなかそうはなれないというか。
だから料理もそう、できるかもしれないって思わずに、もうやって失敗して超まずいものが出来上がった方が、じゃあ次これやったら失敗しないかもとか、次あれやろうみたいな、絶対次の行動のタスクが見えてくる。ガンガンもう可能性が見えたら潰す。
見えた瞬間に。
見えた瞬間に、お前はできない。
顔を出した瞬間にバコーンって。
潰したつもりで、なんかこう、これならいけそうみたいなのが逆に見えるパターン、結構出てきますよね。
うん、でもね、それ結構楽しいですよね。例えばなんかお芝居だったら、なんかヘタウマみたいなので棒読み演技が受けたりとかしたら、棒読み演技でなんか面白くて、みんな笑ってくれるんだと、そっちでなんかあるかもみたいな、なんかこう脈が見つかったりとかすると、
なんかそれもそれで面白い、なんか人生を動かしてくれる感じがしますよね。
可能性を中途半端に抱え続けてる状態って、結構実は窮屈というか。
いやー、ほんとそう思います。
自分の手が埋まってるから、ずっとなんかもう新しいもの拾えない状態というか。
可能性って思ってることって、ちょっとやってみたいけど、そのやってみるっていう、なんか何かこうコストをかけて行動を起こすのって、自分を大事にしてないってなかなかできないことだったりすると思うんですけど でもやってみたいよなと思って、でもそこまで自分の時間とか自分の気持ちを大事にできないと、それをやらずに溜め込んじゃうっていうのがあるような気がして。
結局やってみたいと思っていることを、わりと素直に後押ししていることのようにも見えるなと思って。パラグライダーやってみたいとうっすら思っている人はたくさんいるけど、実際にやった人は少ないみたいな話、何かで聞いたことあるんですけど、
そういうやつって無数にあって、結局それ、犬も歩けば棒に当たるって言葉が好きなんですけど、良いことか悪いことかさておき、とにかく歩いて棒に当たる方が良いみたいな気がしてて、潰すといえば潰してるけどシンプルに、
なんだかんだ言ってやってみたいとうっすら思っていることを実際に行動にするっていう地道な努力というか鍛錬でもあるのかなっていう気がしましたね。
やりたいって思った瞬間にやってできないけど何かができるみたいなこれはできたみたいなのの方が、どんどん間違えていくみたいな方が面白い、自分なりの道がどんどん出てくるような気がしますね。
前のゲストで来てもらった時も僕多分言ってたと思うんですけど藤原麻里菜さんのすごいところは、完成させるのがすごいっていうのがいやー、
そうですよね、ほんと。
この本の中でもやっぱり出てきたんですけどもこれで終わりっていう風に終わらせる能力がめちゃめちゃ高いなっていうそれはもう、こういうスキルだなと思います。
それは本当にもう神から授かった才能で
終わらせの能力
がそれはそれは、多分人からしたらこれで完成はダメだろうって思うところでもういいや、私これ完成でいいですって言っちゃえる人なんですよ。
なんかそれがデイリーポータルZの林さんとなんか喋ってる時になんか特技なんですかって林さんに聞かれて何だろうってあ、私アンケート書くのめっちゃ早いですって。
えぇー。
でなんかたまにこう、なんか例えば問診票とか、なんかなんか書く書くことあるじゃないですか。あれ誰よりも早く書くんですよ私。
逆だ俺。
何にも考えず。
へぇー。
なんかそういうこのもういいやっていうなんかもう走り出しちゃって、終わらせるゴールにたどり着くスピードがめっちゃ、私人よりよく早いのはそうですね、才能だと思う。
ゴールを我慢できないみたいな。
あ、もうそうですね。なんかでも本当可能性を潰す話にもそう流れますけどもなんか可能性があることが嫌なんだ。なんかふんわりどっちつかずのこの状態が
嫌で止
まるか走るか。なのかな。なんなんですかね。なんかね。それがなんか良くもあり悪くもある
んですけどでもそれをその、なんか性質を十二分に生かした生き方というか次々とあらゆるものを完成させていくという。
完成できない人はなんか私に相談してほしいです。完成させるんで。
完成コンサルタント。
あ、これ完成じゃないって言った。
完成外来。
これどうですかねっていうものがあった。あ、ここのなんかへこみだけ直したら、もう完成でいいと思う。ちょっと一個だけこれで完成っていうのがちょっとなんか受け入れられない人もいると思うんで。ここだけちょっと直したら、もうこれ完成だね。
そう、
なんだろう。銀行こう、銀行のなんかこうシステム移管プロジェクトとかで一人藤原さんがこう、一人藤原さんがこう、一人藤原さんがこうメンバーとしていたらこれでもう一回完成にしましょう。
一回これで完成してちょっとバグあったらもう一回溜めればいいんじゃないですか。
次のフェーズでって。次のフェーズでってよく出てきますけどね。
藤原さんみたいな人が一人いることでこれから30年続くプロジェクトが一回完成しちゃうみたいなことがあるかもしれない。
でも完成って結構責任を取る行為でもあるなとすごい思ってて
これは確かにそうですね。やっぱりダメでしたみたいなのも完成じゃないですか。
ダメでもダメじゃなくても結論を出してるっていうのはすごい頼もしい側面もあるなという気もしますね。
結論出すのって、みんな怖いですよね。小説書いてるんだとか終わらせて出してもうダメでしたってなるのって、めっちゃ怖い。
そうなんですよね。それもありますよね。なんかを作ってますっていう人って、作りきれないでどっちつかずの状態であることが、やっぱなんか変に心地いい部分もあるじゃないですか。完成させちゃうと、やっぱ評価に上がっちゃう。
次のフェーズが評価になっちゃうと、小説書いて発表したけど誰からも読まれなかったとかになると、
やっぱ
その失敗とか、自分の思った期待通りにならなかった結果が怖すぎてやっぱ完成できないっていうのが、どうしてもやっぱなんか作ってる
とあるんで完成をしぶっちゃいます。
そう、もうとりあえずほんと完成させて、読まれなかったら大爆笑すればいいか。誰からも読まれねえじゃん。ゲラゲラゲラゲラって一人で笑って、ドアッハッハーって。こんなに頑張って書いたのに、
爆笑みたいな。
なんかそういうのであろうと、私はなんかちょっと回復してた時に思ったんですよ。なんかよく例えで使うのが、なんか大きな木の実があったとして、それを割ってなんか食べようと思って、
頑張って割ったけど割れなくて、なんかみんな、村のみんな集めて、村のみんなで一生懸命割って、なんか藤原が大きな実見つけてきたぞって、一生懸命バーって割って、パカッて開けたら、すっごいちっちゃい実しか入ってなくて、じゃあ藤原ちょっと食べてみ?
って言って、
食べたらめっちゃまずかったっていう時に、なんか笑えるか悲しむかの、どっちかだと思うんですけど、そういう時に、なんかもうめっちゃ爆笑して、
笑うしかないぐらい、
もうめっちゃ爆笑しようと思ったんですよ。そこでこう悲しんだら、やっぱなんか悲劇になっちゃうんで。
確かに、リアクションで喜劇か悲劇かが定まるみたいなのありますね。
辛い気持ちは、自分が作った作品が認められないとか、辛い、心がギューってなるような、なんか惨めだったりとかする気持ちはありつつも、やっぱもうとりあえず、なんか大爆笑。
大爆笑して、ずこーって言っておならプーってしてグーって寝て次の日ほな、
さいなら。
次の日なんかご飯バーって食べてってやったら多分なんか人生が回ってくと思うんで。
柔道とかでもね、最初に受け身だったらバーンってなんか手で床を叩くやつやりますけど、
攻撃じゃないけど、なんかまあ自分が失敗したりとかまあ他人から攻撃されることもそうですよね。なんかお前の絵下手じゃんとかお前つまんねーよみたいなの言われた時の受け身の取り方みたいなのを一回ちょっと自分で決めて、
大爆笑するとかご飯を食べるみたいなのを決めて、それしたらもう失敗し放題だと思います。
受け身の取り方って、成功した時の反応はみんな喜べばいいけど、受け身はなんかやり方がいろいろなんだろう、流儀があって面白いですね。
なんかなかったことにするとか。
確かに人によって違いそうですよね。
実際なかったことにしている人はなかったことにするっていう大事な箱になんかすごく永遠にちゃんとしまってる可能性もあるし、なかったことに絶対できないからなんかどう取り組んでる自分だったらどうかなとか思っちゃうけど、大爆笑はいいですね。
見てて周りも清々しい。
なんかギャグ漫画みたいなガビーンとか言って
売れんのかーいみたいな。この本は売れてほしいですけどね。
売れてほしい。
藤原さん、ちょっと話変わるんですけど、本めっちゃ書いてますよね?今何冊目ですか?
最初が、無駄なことを続けるためにっていう本を書いて考える術っていう本を書いてその次多分、雑に作るっていうあの、石川さんとか、デイリーポータル、ギャル電さんとかと3人で書いた本があってあと、
あの工作本が1冊あってあの、無駄なマシンを発明したいと思うんですけどArduinoとかもあとはエッセイですね。不器用の形っていう、なんか変なものをずっと作るエッセイとあと、
文學界でずっと連載してたメルカリで知らん子の絵を買うっていうまとまった本がめっちゃ多作ですよね。全然売れてないんですけど
ズコーって
書いてくれませんかって言われていいですよ。
売れてますけどこちらは構いませんよみたいな。
こちらはスケジュール的には大丈夫ですけど全然暇なのに。
すごいな。それはその本って、人によってまあ僕は書いたことないんであれですけどなんかこう、出るのにこう、思ってた納期からだいぶ時間かかってみたいなとかあるじゃないですか。これは伸びました?
超延びました。これもう伸びちゃって で、その間にもう、妊娠と出産もこれあったんでそう、なんか結構かけない時期もありました。つわりとかすっごいひ
どかったんでだいぶ様々なトラブルを乗り越えて
乗り越えて、そう、でもなんか良かったです。なんかパニック障害とか、うつになったのは結構前なんですけどなんかそっからこう減ってこうだんだん回復してで、でなんかさらにこう妊娠とか出産とかっていうなんかハードなかなりね 負荷のかかることもありながらもうやっぱなんかリハビリをして回復してたおかげが全然作れない本当にこう作れない時期子供のこと面倒見なきゃとか そういう時期もやっぱなんか別に作んなくても自分は自分だし自分は自分だしみたいななんかその 何かをしなくても創造性はあるみたいなのも確信があるなっていうのを感じたんですげー!
それまともに食らったのが僕です。子供を育てるようになっても作れないみたいな。
でもなんかそのもうそのそこの空白を経験してたからだと思います。でも本当になんかやっぱね子育てって赤ちゃん面倒見てるとやっぱ目離せない
からいやもうそうですよ。
それはすごいちょっと見てないとそう思いますね。可愛いですけどね。
でももう一回なんかもう高地トレーニングみたいな感じで作れない自分を受け入れてみたいなのができてるからもう産後も別に
めっちゃもう超元気でしたもう。でも私が多分ラッキーだったのAIがもうあったんでもうタイミングでタイミング的に もうなんかバイブコーディングとかできるからなんかこういうアプリがあったらいいなとか例えば寝かしつけしてるときとかになんかこのBPMに合わせてなんか音楽が鳴るアプリがあったりとかでなんかChatGPTとかに言って なんかこうだったら作れるんじゃないですかみたいな。
だいぶClaude Codeでこうずっと開発中毒になってますみたいなことをDiscordかなに書いたときにそれは私でもあるってコメントしてた。どんな感じでやってるのかなとちょっと聞いてみたかったんですけど。
なんかちゃんと多分今使ってるのはなんかウェブで使うアプリかなんですけどなんかご褒美タスクみたいなのでタスク管理なんですけどご褒美とつなげてこのタスク完了したらこのご褒美が解放されるみたいなのを作りました。
自分で設定してできるってことですよね?
でもなんか結局なんか作ったけど使ってないみたいなめっちゃありますね。めっちゃ頑張って開発したのに全然今使ってない。
でも作ったらどうなるんだろうっていう好奇心は満たされるみたいな。
作れたみたいな。やっぱなんかこうなんか風に乗るようになんか集中してふわーんって開発するのってめっちゃ気持ちよかった。
気持ちいいですね。
なんか別にその目的地にどうしても行きたいわけじゃないけどただ風に乗ってそのどこかに飛んでいくのが楽しいみたいな。
なんか物と違って部屋が狭くならないし、料理と違って必ずしも食べなくていい。失敗してもまずくても別にどうなったか見てふーんって終わってもいいっていう。
でもいいものがたまにできて、しかもその風にっていうのはなんかAIの言うことをなんかある程度うーん、そういう感じにしてって言いながら、でもいや、でもここ違うかなみたいな、その塩梅を。
まっすぐな道じゃないんですよね。ふんわりこうあれ、右に逸れたり左に逸れたりしながら目的地に向かっていく。
うーん、いいですね。風まかせのタイミングもあれば。
風まかせ開発。やっぱなんかそれが一番気持ちいいですよね。なんかハードウェアもそうなんですけど、風まかせにFusionとかであれ、やっぱこれなんかもうちょっとここ丸みあった方がかわいいなとか言って、なんかモデリング3Dプリントして、あれ、
やっぱ丸みなかった方がかっこよかった。直してプリントしてみたいなのをずっとなんか続けて、いつの間にかなんかこれ完成だなって言って出すみたいなのが自分は気持ちいいです。
いや、なんか複数人で開発してると絶対できないスタイルが今できてることが。幸せというか。
幸せですね。やっぱなんか、一人プロジェクト絶対大事です。
誰に誰も傷つけずにボツにできるから。
どんだけ1年以上時間かけたやつもボツにできますから。やっぱいいやこれ、
ってはははって言って。
リハビリは基本的に全部人を巻き込まない形でやってますよね。
そうですね、自分一人でテーマが手触りとか感情とか身体と精神みたいなところが、やっぱ自分の中でテーマだったので。なんか やっぱ テーマが
全部自分のみで完結するものが。
そうです。
それは結構クリエイティブの最小単位というか、本当に自分だけで始めて自分だけで終わらせるっていうのをいろいろ繰り返していく中で、いろんなことが分かったりとかタフになっていくというか、失敗を受け入れられるようになって。
自分自身があんまり人と一緒にプロジェクトをやったことがないのもあるんですけど、やっぱり一人で自分に集中して、自分の感覚でやっていくみたいな気持ちよさみたいなのがまず一番のものを作るとか、
何か何かクリエイティブなことをする上での肝だと思う。それを取り戻すみたいな感じですね。
本当にこれはどういう人が必要とするのか。結構物を作っていたことができなくなってきている人と、
でもそうじゃない人にも普通になんか響く言葉がいっぱいあるんじゃないかなっていう感じは。
確かにね、大人になるにあたって別に何かこう自分で物を作るみたいなところに特に惹かれることなく、生活に入ることなく過ごしてきた人の中でも、こうスッと取り入れられるような。たくさんありますよね。なんか日記の延長みたいな。
なんか小学校の時面白かったのな自分みたいな人に。あれ、俺小学校の時結構面白かったよな。今なんかあんま面白いこと思いつかないなみたいな人にも、ぜひ読んでほしいですね。なんかまあ、何か作るとかじゃなくても。
作るリハビリっていう本で、作ることがメインにはなってくるんですけど、なんか面白いこと思いつきたいのに何かなみたいな、あれみたいなのにもぜひ読んでほしいです。
自己評価を外在化させてしまっていることの辛さっていう意味では、それはなんかもうほとんどの人に当てはまるぐらい思っていて。なんかもちろん作るっていう人にはすごく共感することが多いなと思いつつ このべき思考のあたりはかなり抽象度が高いというかどんな人にもある落とし穴にちゃんと落ちて、
そこから出てくる過程として読めるんじゃないかっていう気がして
誰しもがハマっている。
でその落とし穴に落ちるところから書いてあるような感じがして すごく貴重だなと思ったんですよね。
確かに、めっちゃ私なんかまんまと大きい穴に絶対落ちるよそこってところにパッパッパーっていって
どんどんど自分だけが落ちたんじゃないかと思っている、たくさんの人を救うと思うんですよね。そのべきもそうだけど、いろんな他にもあるような気がする。
でも、なんかおそらく何が本当に好きで物を作っているのかっていうのがなんか数年前分かんなかったのが、今は分かるようになってるんじゃないかなって、なんとなく感じたんですけど 複雑すぎるじゃないですか。
本当に粘土を触って気持ちいいっていうのもあるし、人に見せて反応があるのも面白いし、なんかそれが一人歩きして誰かが真似してるのも面白いかもしれないし、でもそのどの部分が自分のツボなのかっていうのは正直わかんないけど、
24のワークの中で一つ一つこれは面白くない、これは不快、これは楽しいっていうのを大量に積み上がった書類の中からこう栞を探すみたいな。そういう作業してるような感じがして、だから作るって言ってるけど、
その作るの中身についてめちゃめちゃこうディティールを掘ったというか、そういう探究みたいなところもあったのかなっていう印象が。
本当そうです。本当そうです。なんか人から褒められるとか、人から反応が来るっていうのも、なんかめっちゃ気持ちいいことですよね。で、
なんかいいリアクションもらうとか、期待通りのリアクションもらうって、まあ本当子供に戻るっていう意味では、なんか子供もやっぱり、例えば3歳児とか、なんかボタンを押してピコって光ったら、アーってなるじゃないですか。
なんかそういうのがどんどん大人になっていく感じで、自分が美味しいと思うケーキを出して、人が食べて、美味しいって言ったら、アーってなる。
キャッキャッキャまずいって言ったら、えっ? みたいな戸惑う、みたいな。やっぱ そういう なんか 心の中の3歳児がどんどん 大きくなってっただけなのでその やっぱ 何かを 自分を作って人が それを 何か 自分のものを 経験して期待どおりの反応を くれるか くれないかでやっぱ 自分の 中の反応も 変わってきて みたいなところで プリミティブに考えるとめっちゃ楽しい、気持ちいいことなんですけど、
パチンコとかする音みたいな感じで、何かをして反応がバーって反応が来るのってやっぱ気持ちいいけど、やっぱそれがどんどん続いていくとやっぱ過剰になっていって、どんどん不快になっていくとか、そこのバランス感覚とかは、今回のつくるリハビリっていう中でどんどん積み重なって、そのバランス感覚を取り戻していくみたいななんか そこの バランス感覚とか
自分がどう気持ちいいのかとか、どういう時は嫌なのかみたいな
ちょこちょこ作品というか、落書きだったりとか、実際に作ったものの絵が挟まってるのいいですね。
トイレに置いてあるカレンダーのそう、
トイレに置いてあるカレンダーに1日1個絵を描くっていうのを、最初のものを作る活動にしたんですよ。その無駄づくりとかが、
無駄づくりとかがどうしてもできないんでカレンダーに1個だけ絵を描くっていうのだけが自分の中の創作活動だった時期があってもう最後に残された その絵も本の中にあるんですけどもうなんか自分が二重顎の自分とか飼い猫の絵とか、
アンパンマンの絵とか。
いやでも、後から見るとなんかこう愛らしいですよね。
このなんか誰かわからないおじさんの絵が急に描いてある。
これはぐんぴぃさんでしょ?
そう、YouTuberの絵を描いて
でもなんか、読んでる人にハードルをこうやって下げるんだよっていう手本のような見え方もします。
土井善晴先生の本の中で味噌汁はこんなんでいいんですって写真が載ってて、最後らへんになんかトマトがぶち込んであるみたいな
土井先生の
ね実例として、こんなんでいいんだっていうのが分かるって結構大事なことですね。やっぱちゃんとしたものを載せるじゃないですか。載せるなら、こうアーティストとして名を冠して出すのであればみたいな そうじゃなくて、本当に最小限の自分のちゃんとあからさま載ってるって
土井先生の本のおかげで料理作れるようになったといっても過言ではないですかね。
でもなんか、土井先生がなんか情熱大陸かなんかの中でお料理教室みたいなのに生徒たちがいっぱい来てて土井先生が最初に おいしい料理を作ろうと思わないでください、料理を作るんですって言っててかっこよすぎておいしいものを作るって目的で料理を作るな。
料理の作り方を学んで料理を作りなさいって言っててなんかそれが結構心に来ていいものを作ろうと思って物を作るんじゃなくて物を作ろうと思って物を作ろうって思ったんです。
あの本にも載ってますけどはい。そういう意識的にいやー物を作ろうとすると、いいものを作ろうとしちゃいますよね。
そう、なんかでも料理ってやっぱおいしいものを作らなきゃってなんかそういう縛りみたいなのが
ありますね。
料理の作り方を学ぶのだから料理ができたら大成功なんですよね。
おいしくなくても、別に完成したらとりあえずいいじゃんっていう
でもなんか、土井善晴先生は料理ができない人の気持ちが分かるってことなんですかね?ああいう人が料理をする時のなんか心理的なハードルをなんで理解できるのかが逆に分からないっていうか、
料理づくめで生きてきた人生の中で。
なんかいいものを作ろうと思って、いいものをいっぱい作ってきた人がいいものを作らなくていいんですって言わなそうじゃないですか。
それはなんかやっぱあるんじゃないですか。藤原さん的な期間が。
そうなのかもしれない。
変やみたいなタイミングがあったのかもしれない。
でもなんか、作るのって創造的なことっていう風に言われるけど、いや、ちょっと話つながるかちょっと分かんないですけど、実は作るのって単なる消費活動の一種でしかないんじゃないかみたいなことをちょっと思う時があって、だからそれは、
ゲームして楽しいっていうのと作って楽しいっていうのが同じような種類のもので、そう思うと、今日作ったか作ってないかっていうのがなんかすごく小さいっていうか、良くも悪くも小さいことに思えるというか。
あまりにこう、作るっていうことを高いところに置きすぎちゃってるみたいな。
そういうのももしかしてあったりする場合もあるのかなと思って。作ることが創造的ではないとは言わないけど、とは限らないくらいのことで。
自炊って別にそんなクリエイティブさ求められないけど、クリエイティブではあるみたいな。だからなんか、ものづくりの自炊みたいな行為なのかなと思いますね。この本に載ってるのは。
そこまで落としていいんじゃないかなというか。
料理を家で作るときに、いや、こんなんじゃお店出せないよみたいなことを言われたりとかしないじゃないですか。そんなんでなんかビブグルマン行けんのみたいな ことを自分で考えてやめたりとかしないじゃないですか。
でもなんかこう、ちょっとギター練習してみようかなっていうときに、いやー、こんなんちょっと自分が練習したって別にこれからメジャーデビューするわけでもなしみたいな、ちょっとよぎっちゃったりとか、人に見せるでもなしみたいなことを。言っちゃうけど、でも自炊的になんかものを作るとか表現するとかって、なんか結構根幹の部分で大事というか。
なんかそれに近いことをたくさんやっているのかなと思いますね。
なんかほんと自炊もほんとそう。なんかイメージ的にほんとそうで、なんかキッチンって絶対どの家にもあるのに、なんか物を作るスペースってなんかほんとニッチな趣味の人の家にしかないじゃないですか。
でもなんか実はこう物を作ること、まあ芸術的なものもそうだし、なんか私がやって無駄づくり的なこともそうだし、なんかもっと言うと日曜大工みたいな、あずまさんとか生活治具みたいな、なんかこう自分と例えば家とか 人とか社会とかの間にある隙間を絶対なんか自分が作ったものでしか埋められないと思うんですよ。
例えば自分の持っている家具と家具の間にどうしてもスペースがあって、そこに何かを収納したいという時に作れる。何かそこに絶対ぴったりはまるもの、市販のもので絶対売ってないから、自分で木を切ったりして、
パーツを切り出して作ってピタって隙間にはめて、自分の用途に合ったものを作るみたいな感じで、なんかそれがもっと対人だったりとか、対社会みたいな感じで、
なんか自分はこういう人間だから社会でこういう生きづらさがあって、社会と自分の間になんか隙間があって、なんかその隙間を埋められるものはなんか自分の作品でしか埋めることができなくて、でもそこでいい なんかちょうどいい隙間を埋める作品を作れたらなんかその社会と自分の間に橋渡しができて、
なんかすごいスムーズにこう社会参加できるようなイメージがあるんですよね。なんでこうなんかなんか人から認められるようなものを作るとか、すごいお金を稼げるものを作るとかじゃなくて、
なんか自分と何かの間を埋める自分にしか必要のないものを自分の手で作るみたいなところがなんかやっぱ自炊的な創作とかなのかなと思いますね。
なんだろう。社会的にこう求められている自分っていうものと本当に一主体としての自分っていうものに絶対乖離が現れるじゃないですか。仕事は仕事でこういうことを求められている。なんかその乖離をある意味こう自分が自炊的にものを作るっていうことでちょっと埋めてくれるっていう。
そうですね、本当に。
別にそれによってどこか遠くに行けるっていうわけでもないけども ちょっと思っているのと違うことをしている自分も含めて自分だというふうに受け入れられるような…ちょっとすごい難しいですけど連続性を持たせられるみたいななんかそういうところがある気がします。
仮に売ってあったとしても作るみたいな時ってあるじゃないですか。で、それってそれこそ無駄っていうか合理性はないけど反対意見をいつでも言えるぞっていう 表明のような気もしているかなっていうか反対意見というかそこにあるもので十分なんだけど 自分はいつでもNOが言えるぞっていう準備がなんか自分で作ることを 自分で作ることというか…
ちょっと鉄塔さんが自宅サーバーっていうのと一緒なんですよね。
まあまあ、そうあずまくんがImagecasterを作っているのと一緒だと思う。いざとなればご飯は自分で炊けるけど今日は吉野家の牛丼を食べるっていう。吉野家の牛丼しか牛丼がないのと自分で牛丼を作れて牛丼を食べるのは結構違う気がする。
だいぶ違いますね、確か。
そういう意味での作るっていう側面もなんかあるような気がするな。もちろんまあ、もちろん隙間を埋めたりとか 作らなければ存在しないものを作るっていうこともあるしでも実はS字フック買えば済むことをあえて作ったりするじゃないですか。
作られます。
それって結構そういう世の中に対して、距離を置くための準備の一つでもあるのかな。だからこそ社会と仲良くできるというか、って思いました。それって結構そういう世の中で世の中に対してだからこそちょっと社会と仲良くできると…
社会との距離感をある程度…
後ろに逃げ道を作ることによって前に踏み出せるみたいな…
というところで。はい、だいぶ話も深くなってきたところでそろそろお時間の方が終わりになってきましたので。
ありがとうございます。
最後、告知的な感じで本の内容、もうずっと本の内容のこと喋ってましたけども。
ある程度適切に保つために自分で作って本が出ます。先も話した通り、私がもう本当にもうなんかつらくて涙が毎日出てワンワンって泣いてて 何も作れないよってなってったところからまあなんか面白いことを思いつかなくてもいいから考える練習をして 面白いもの形にできなくてもいいからとりあえず 失敗しながらも何かつまんないものを作っていくってところからどんどんリハビリをしていって最終的にこう無駄づくりの作品を一つ作れるようになったっていうところまでを書いているエッセイ。
エッセイなんですかね?
エッセイなのかも。
です。なのでぜひ興味のある方なんかみんなもうガンガンなんか物作ったりいろいろ 考えてる方が多いかもしれないんですけど、ちょっとこうなんか疲れてあんま面白いことを思いつかなくなってきたなぁとか、
なんかひらめきたいなぁみたいな方がいらっしゃったらぜひ本を読んでくれたら嬉しいです。
ということでつくるリハビリ、ぜひ読んでみてください。
ありがとうございます。
それではゲストは藤原麻里菜さんでした。
藤原麻里菜でした。
ありがとうございました。ありがとうございます。さようなら。
さようなら。さようなら。
どうぞ。
シェア:
最初その、NSC、あの芸人の養成所に入った時に言われたんですよ。なんかその、同じ台本でも、ゆっくり大きな声でやれば絶対ウケる。 へぇー、おもろ。 じゃあ、ゆっくり大き… な… 声でね。藤原さんが、やってきた! 本が出た! 買ってねー! Image Cast! Image Cast! いいんじゃない? 違えんか? ゆっくり大きな声で。 はい、ということでゲストです。藤原さんがやってきました。 はい、無駄づくりというのやってます。藤原麻里菜です。 イェーイ! イェーイ! これの前の回が、公開収録ゲスト回なんで… あ、そうだ。 なんと2回連続のゲスト回。えー… すいません。 初ですね。 初っすね。 ありがとうございます。 もう、なんかどんどん、ビッグネームが登場してくるという。実は前回、藤原さんが来たことがあるんですよね。2021年でした。この間調べたら。 めちゃめちゃ昔ですね。 だからもう、5年前とかに参加してもらって、 それから5年、いろいろありましたね。 いろいろありました。 関係性で言うとまぁ。 なんですかね、関係性で言うと。でもなんか、Image Clubを2人がやられてて、それに私もちょこちょこ参加して、無駄なもの一緒に作る仲間みたいな感じでしたね。 Image Clubで発表してもらったりとかも。 Image Clubの記事でもいくつか書いてもらってると思うんですけど。おっきい、イヤホンをめちゃめちゃ絡ませる装置の記事とかも直近って言っても結構前だけど、あるので。 うーん、23年とか22年とかですかね。有線コードのイヤホンを入れてボタンを押すと、もうぐるぐるマシンが回って、 コードが絡まって出てくるっていうマシンを。 最高のマシンをね。 私が、ちっちゃいので作ったんですけど、 あれを展示用に大きくしたくて、鉄塔さんにちょっと設計を巨大化してくださって、で、めっちゃ頑張って作って。 頑張りましたね。 いまだにあの、家の倉庫に置いてあって。 邪魔ですよね。 あれから多分2回ぐらい引っ越したんですけど、 もう引っ越し屋さんに、これはあの、なんですか。引っ越しで見積もりするときに、なんか書くじゃないですか。洗濯機1個とか。 品目がね。 あそこに、これってなんて、なんて書けばいいですか。いや、これはあのマシンなんですけど… あ… あ… あ、あ… 美術品で大丈夫です。美術品100万円以上とか高価なものですか? とか。いや… あの… そんな高価じゃないんですけど、みたいな。 難しいですね。 だから扱いに困る。 藤原さんの引っ越しって、引っ越し業者さんめっちゃ悩みそうだな。 めっちゃ大変そう。 そう、品目には入らないものがたくさんありそう。 ちょっと変なものがいっぱいあって。 いやー、でもまだ残ってるのすごい嬉しいですね。そう… 残ってます。 そんな時代も経て、5年後、もうね、我々も子供も生まれ、藤原さんもご出産おめでとうございます。だいぶいろいろ変わりましたね。 変わりましたね。 そして、そんな中で、藤原さんが本を出しました。 出しました。やったー。やったー。7月17日に、左右社から出まして、つくるリハビリという本です。で、サブタイトルが、創造性を取り戻すための24のワークっていうので、なんかまあ私、5年、いろいろあったんですけど。 いろいろあった。そのいろいろちょっとね、これからいろいろ聞きたいですけど。 え、前、収録したのは2021でしたっけ? たぶんそうですね。 ですよね。たぶんその頃、めちゃくちゃもうやばくて精神状態が。でもう本当に何にも考えられない感じだったんですけど。 それでもうなんか何にも考えられなさすぎて、なんかもう無駄づくりってずっとライフワークでやってたプロジェクトのアイディアも考えられないし。もう何かを作るってことがそもそも無理みたいな状態になって。もう明日何をするかみたいなことさえ考えられない。 もうなんかもう創造性がもうゼロになった状態が結構続いて。でもやっぱ自分の中の基礎にあった部分が、クリエイティビティがこう自分の人生ずっと動かしてきたからすごいそれは苦しかったんですけど。 どうにかなんかそこの思いつかないってところから脱出しようといろいろこうリハビリをしていって、なんかまあようやくちょっとずつ作れるようになってきたってところを24個のワークを通してこう書いていったっていう本なんですけど。 これね、あの私たちもちょっと一足お先に読ませていただきまして。 ありがとうございます。 まあでも本当になんかこうリハビリっていうのが言い得て妙というか。最初の方でも結構ズタボロになってる藤原さんが徐々になんかいろんな工夫とかなんか実験とかを繰り返していく中でちょっとずつものを作ることを取り戻していくみたいな。 24のワークって言ってるからちょっとお役立ち本みたいな感じに見えるかもしれないけど結構読んでみるともがいた軌跡というかなんか藤原さんが回復していくまでのなんかログみたいな。 本当そうなんですよね。私が本当なんか個人的な記録でもあるし、でもなんかこう自分がその時にこういうことすればって言ってくれる友達がそばにいたらめっちゃ嬉しいだろうなって気持ち。 なんでこうなんかまあ私は精神的にこう落ち込んでこういうリハビリっていうのをしてるんですけれども。その人にもぜひこういうことすればっていうのが書いてあるのでよかった、読んでほしいなと思うのと。 なんかImage Castに読んでほしいって私は今回めっちゃ頼んだんですけど。 そんな頼み込まなくても一言声かけてくればもうどこでも行きます。 それは本当にあずまさんのなんか話を、結構Image Castずっと聞いてて、ちょっと落ち込んだのと自分の創造性との苦しみみたいなの…結構聞いてたから、なんかこれ書いてる時に結構聞いてたんですよ。 本当ですか? だからなんか…わっ… すごい貢献している。 なんかね、なんかこう私だけじゃなかったんだみたいな、この苦しみみたいなので、なんかちゃんとこの一冊書こうと思って書いた部分がありました。 いや、マジで世の中にはこういう本がもっと必要だと思いますね。 本当にもがいた時の記憶みたいなものが本になっているのって意外となさそうというか、単に美談にされるようなことは結構あるかもしれないけど、本当にこれで苦しんで、それをこうやって抜け出したみたいな話が、これでもかというぐらい濃く書いてあるし、ワークっていう、 なんか方法論っぽいニュアンスのところもあるけど、その方法一つ一つが、ちゃんとこれをしてこうなって、こういう気持ちになったっていうのをセットで全部書いてあるのが、ただの何、 ワークっていう軽い言葉ではないというか、作るっていうことを取り戻すことの、言ってみれば情熱って言うと、ちょっと言葉がチープな気がするんですけど、作りたいという思っている自分自身を、なんかすごく大事にしてるんだなというか、それがなんかいいなというか、 胸を打つものがあったなと思いますね。 本当にいい本。 ありがとうございます。 なんかその、弱ってる時に頼りにするべき本みたいなものって、例えばその、医学をやっている方が書いたような、医学的な根拠に則って、こういうデータがあるので、こういう風な休み方をしましょうみたいなのはもちろん、それはそれで必要だと思うんですけど、 この本は結構こう、徹底して一人称で書かれている感じというか、私はこういう風な、私はこういう風な、私はこういう風な傾向があるから、私はこういう風な傾向があるから、だからこそこういう風なことをやってみたら、こんな気持ちになったみたいなのが、ちゃんとこうあるのが、すごいこう、 まあN1ではあるんだけど、それがすごい大事だし、それこそ刺さるみたいな人は、結構いそうだなと思いますね。 いや、そう、そう、一人称だからこそ、みんなに伝わるんだろうなっていう感じがしますね。 そうなんですよね。なんかまあ、結構つくるリハビリで、なんかこう、クリエイティビティを取り戻そうみたいな、目的で書いたんですけど、でもなんかこう、最終的に、別になんか、あずまさんが多分Image Castで言ってたのが、作れない自分でいるのが嫌だみたいなことを。 自分がこうなってくる過程の中で、作っていてこそ自分みたいなアイデンティティを、自分で刷り込んでしまってるから。 で、私はめっちゃそれに共感して、自分も、その時は結構回復した、放送を聞いた時は、多分回復した後だったんだけど、振り返って、私も絶対そうだったっていう風に思ったんですよ。 無駄づくりっていうのは、もちろんなんか職業っていうか、まあそれでお金稼いでる部分もあったから、まあそういうものを作れなくなった自分は自分じゃなくなるみたいなのが、やっぱすごい、そういう強迫観念みたいなのがあって。 なんか面白くない自分で、面白くない自分は自分じゃないから、今のそのちょっと憂鬱で何も考えられなくてアイデアが湧かない自分は、もう自分じゃなくなってしまったから、今後一切誰にも褒められることがなく死んでいくのだみたいな。 俺は終わったみたいな。 もう、これで私は誰からも褒められないみたいな。なんかそう、絶望があったんですよ、本当にその時。で、それがやっぱ一番苦しくて、でもなんか、超つまんない自分をめっちゃ認めてあげる練習をして、本当にこう、 布団が吹っ飛んだしか言えない自分をちゃんと認めて。 布団が吹っ飛んだしか言えない人っていう、面白いけど。 布団が吹っ飛んだしか言えない自分でも、とりあえずいいじゃんっていうので、とりあえずその自分の面白くなさをちゃんと認める練習をめっちゃやっていくと、面白くない自分も自分であるっていう、そういう、当たり前は当たり前なんですけど、 そういうところにちゃんとこう、心の底から自分を肯定できるというか、そういうのができるようになって、ようやくなんか、一個スタートライン立てたというか、じゃあ、面白くないけど、なんか作ってみよう。料理作る回があるんですけど、本の中で。 めちゃくちゃまずいものが出来上がってもいいから、料理作ってみようみたいな。 ルパーチューでしたっけ? ルパーチューっていう、料理の名前を先に作って、材料とかは適当にスーパーで買って、もう、失敗前提でルパーチューっていう、正解のない料理を作るっていうので、っていうワークをやったんです。 そもそもなんですけど、よく思いつきましたね。 これがでも、私のすごいとこかもしれないですね。 そうだと思いますよ。 いや、それは本当にそう。 ギリギリの、枯渇した状態でもルパーチューだけは思って。 いや… 結構すごいなと思って。 それはなんか、すごいなと思いますね。この、24個のことを、ボロボロの状態でも、それでもなんか、自分にこうしてみては、みたいなことを提案できる。 そう、そこがちょっと、私の天賦の才だったかもしれないですけど。でも、本当、最初は本当、ジャーナリングとかめっちゃこう、よくあるところから始めて、だんだんこう、自分をなんか、放出できるようになってから、 ルパーチュー作ってみようとか、なんとかをしてみようみたいな感じで、やっていったって感じなんですけど。でもこういう感じで面白くなさとか、できなさみたいなのを、一個一個、 認めてあげることが、真の自分の面白い生活につながるのかな。 自分だけが、気持ちいいから、物を作るとか、自分だけが嬉しいから作るとか、もうなんか、そういう意味もなく作るみたいなところに、たどり着くために普通、子供って最初はそういうところから始まるじゃないですか。 そっから出発して、大人になっていくにつれて、かっこよくないといけないとか、おしゃれじゃないといけないとか、面白くないといけないみたいな感じになっていって、で、面白くて褒められるから、自分なんだみたいな感じで、 変わっていって、どんどん面白くないと作れなくなるとか、かっこよくないと作れなくなるみたいな感じになっていくのから、またその、子供の状態に戻るまで、こんな苦労が必要なんだっていう。 マジで本当その通りで、この本を通して赤ちゃんにただ戻っていってるだけなんですよ。つくるリハビリって、最初のスタートが、つくれなくなってしまった自分はもう褒められない、社会にとってもう何の価値もない人間なんだってところから、 でも、別につくるってなんでつくってたかというと、なんかハンダ付けって、ジュワッてハンダが溶けて気持ちいいから、なんかハンダ付けってずっとやってられるし、なんか粘土でこう形作るのも、粘土の手触りが気持ちいいからやってたし、 っていうなんか根本的なところがあったのに、だんだんこうなんか、面白いものを作ったらみんなから褒められるからとか、お金がもらえるから… いいねがつくからみたいな。 いいねがつくからみたいな感じで、やっぱそこの自分の手触りとか、五感の気持ちよさで作ってたところがやっぱ飛ばされて、なんか外在的にある、社会的にある社会的な価値みたいなところに、なんか全部その自分の感覚を委託しちゃってたなっていうところに気づいて、 もう赤ちゃんに戻ってって、社会と、社会はどうでもいいみたいなところをどうなんか割り切れるかみたいなところを、すっごい苦労したって感じです。 大人の藤原さんが、その五歳児ができることをできるようになるまでみたいな。 五歳児になるまでって感じですね。 いやすごいなぁ。そういうと戻ってるって言い方もできなくはないけど、なんか実際、できたそれで今作ってるものが、五歳児でも大人でも作れないものを作ってると思う。 そこの、一周回ってはいるのかもしれないけど、多分元いたポジションではたどり着けなかった境地に、結局結果的にはなんだろう、戻ってるとかではなくて、たどり着いてるのかもしれないなぁと、外野ながら思ったりしてますね。 僕好きなのは、隙間時間にポツンになるっていう。一人になった瞬間に、こうスマホを取り出したりとかするんじゃなくて、一人になった瞬間に、その自分の頭の中でポツンと言ってみるみたいな。 結構発明の塊ですよね、この本。 なんかほんとね。 ポツンと言ったら、ポツンとしたことをしないといけない。座ってるみたいなとか。スマホ出したら、スマホ出したらポツンじゃないからみたいな。 そう、本に書いてあるのは、こうドリンクバーとか、友達とファミレスにいるときに、友達がドリンクバー取りに行ったときに、だいたいなんかスマホをスッて取り出しちゃうんですけど、 取り出さずにポツンってするとなんかスーってなんか暗い中に一人だけなんかいるみたいなイメージになってそうするとなんかこういろいろ考えがなんかどうでもいいこと考えられるようになるよねみたいな感じです。 逆になんかその普通の人がいかにその一人になることが難しいかみたいな、この社会で。 そう、でもそれはすごい思いますよね。こう何か作るとか、きっかけってやっぱり自分の頭の中でめっちゃどうでもいいこと考えなきゃいけないと思うんですけどなんかスマホとかインスタとかね、見てるとどうでもよくない情報がすっごい入ってくるじゃないですか。 常にその世界は一大事じゃないですか。いろんな人が傷ついていたりとかその意見がぶつかり合ってたりとかそれぞれにとってはそのすごい一大事イベントが常に起こり続けているっていうことに 真面目に向き合おうとするとその人がその人のことを考えるのってもう無理やんみたいな。 本当そう思います。なんか私、Xを2年ぐらい前にもう見るのやめたんですよ。 お、ようこそ。 2年、覚えてますね、24年の10月に全部フォロー外して… フォロー外すまで行った。 タイムラインも、もうキョロちゃんとドクターXだけフォローして… それは面白いと思われようとして。 いや… キョロちゃんは本当に好きなんですよ。私キョロちゃんが一番大好きなんですけどドクターXはドラマ超大好きだよ、米倉涼子の。 単純に愛をそこに。 そう、ドクターXの情報はちょっと知りたいなって思うのでその2つだけ。で、あともう全員フォロー外してで、タイムラインも本当見ないようにしてもう2年以上、2年ぐらい過ごしたんですけどやっぱなんか、そう、 やめてこう思ったのはどうでもよくないことでタイムライン溢れすぎててしんどかったんだなっていうのは思いました。なんかもっと昔のTwitterとかってなんかどうでもいいことばっかだったじゃないですか。 本当にそう。 パンが美味しいとか今日牛丼食べよとかそう、どうでもよさで溢れててそのどうでもよさが多分好きだったんですよね。でもやっぱりどんどんどうでもよくなってで、この人からこういうこと言われてひどいとかうん。 すっごいどうでもよくないなそれみたいなことがやっぱどんどんどんどん多くなっていくと やっぱなんかキャパ超えちゃってそれでやっぱ脳のリソースとか考えるリソースが割かれちゃってうん。っていうのは思いました。 2011年の大震災以降でこう、Twitterが当時その いろんなことをまあその情報網がこう切れたりとかしてたからうん。ソーシャルメディアとしてなんか情報を広げたりとかするための有用なツールだみたいな感じで受け止められるようになってうん。 で… そのタイミングあたりからちょっとなんかどうでもいいことを書いてるなんて不謹慎なんじゃないかみたいな… 一瞬ありましたよね。 気楽なことを言ってちゃいけないんじゃないかみたいな感じの空気はあってなんかコロナ禍以降だったりとか、戦争が起こったりとかそのタイミングで結構断続的にそういう波… というかうん。そういう流れになったって感じはありますよね。 なんかそう思ってる人自体は結構いるかもしれないけど実際にそれで離脱するっていう選択をちゃんと自分のためにやれたっていうことがいや… 本当にそれはね。 なんかすごいすごい。すごいです。 僕も見てないんですけど僕は別にその仕事で使ってないんですよ。Xとか、その生活に支障はないんですけど藤原さんはそのSNSで面白いことを出していくっていうのは結構そう。飯の種になってる。 飯の種なんです。なんでこう、やめる、アカウント消したらもう食べていけないかもしれないみたいな。 収入減るぞみたいな、リアルなやつがありますよね。 いくら減るんだろうみたいになっちゃうんでアカウントで、アカウントで、アカウント消すなんてアカウント消すなんて、もうそんな勇気のあることはできなかったんですけどでも結構世間の流れとかも、やっぱりちょっとみんな離脱してってるイメージはちょっとあるんですね。 Xで、企業とかもXでどんどん広告出してキャンペーンやっていくぞってよりかはなんかもうちょっとこう、インスタとかYouTubeとか、そっちに流れてってる感じはするのでなんか自分も、まあその流れに乗る感じかな。 インスタとかは結構見てるんですけどでもなんかYouTubeも、もうなんか最近あの、おすすめに表示しないみたいなの、めっちゃもうできるんですよね。いやだなーって動画が流れてきたら、おすすめに表示しないみたいな。のでもうどんどんアルゴリズムを整理していって、情報をなんか、どうでもいい動画も変わってくるよね。 ニュースとかを全部もうブロックしてYouTubeのなんかニュースって結構なんか刺激的な刺激的な、感情揺さぶるような… まあね、結構悲惨なニュースだったりとかなんか人がこう、なんだろう、こう一言物申したくなるみたいな。 こいつが悪いとか言いたくなっちゃうよな。あと、そうニュースサイトも、もう特定のアルゴリズムとかおすすめとか、なんか出てこないニュースサイトだけにして他のニュースサイト絶対見ないやって、もうなんか整理しました。 っていうのも、なんか私がその憂鬱になったのが、最初がもうパニック障害だったんですよ。動悸がすごいバクバクしちゃって… 心臓が。 そこからこう、どんどんどんどん気分が落ちてったって感じだってなんかいろいろ、その時も私なんか、いろんな本読んで、怖すぎてなんか、なんでこうなってるんだ。体のメカニズムが分かんなすぎ… て心理療法的な。 そう、なんか結構認知行動療法とパニック障害と言うんですけどそれでこう、いろいろ言われてるのがこれは本当か嘘か、医学的根拠とか分かんないんですけどなんか扁桃体の異常みたいなのを私は信じてて扁桃体。 扁桃体ってサバンナとかにいた時代からこう、人間にあってどう猛な、動物とかがワーって来た時に扁桃体がやばい、逃げろみたいなので、バクバク心臓バクバクして体に指令を出す部位なんですけどもう今安全なのに、 まだあってそれがやっぱ情報とかが多すぎるとめっちゃこう扁桃体がアラームになっちゃってやばい、命の危険だみたいな風に体に発信しちゃうみたいなのがあってそのパニック障害とか不安障害とかは、結構その そこがちょっとバグ起きちゃ… ってるみたいなちょっと… ずっとなり続けちゃってる状態みたいなものを読んだんですよ。でもこれは確かにそうかもと思ってで、なんかその、自分を危険だって思わせる情報から身を置くようにしようと思ってちょっとこう、例えば記事とか読んで、 ちょっとバクバクみたいなのがあったらもうそれ全部ブロックして、情報全部見ない見ないっていう風にしてて… すごい自分のこのセンサーをちゃんと使… って情… 報を弾くようにする… っていうのをやはりやってました。っていうのもあって、Xは全部見なくなってそうですね、ニュースとかも特定のサイトしか見なくな… ってなんか異常なのかもしれないけどでも実際にそれを見たくなかったのも事実なのかもしれないですよね。なんとなく。 なんか不思議ですよね。そう、なんか例えばすごい悲惨な、子供がなんか悲惨な目にあった事件とかをニュースで見ると、なんかおすすめ欄に なんか次、このニュースも興味あるかもみたいな同じようなひどい悲惨なニュース… がクリック率がね、高いものってそうですからね。 なんかあの仕組みのニュースサイトめっちゃ多いじゃないですか。 わかるわ。なんかあのLINEのあの上の、LINE開いた時に上の方に出てくるニュース結構そういうの多くてなんか俺、友達と連絡取ろうと思ってLINE開いた時になんで子供が死ぬニュース見せられなきゃいけないなとか。 怖いですよね、あれも。 しかもそこ開くと、他の悲惨なニュースが出てくるんですけどなんか3年前のニュースとかだったりするんですよ。悲惨さゆえになんか常に上の方にアップされてるけど、もはやニュースでもないみたいな。 なんか2019年とかのニュースとか。そう、なんかそういうのもあって、なんかそれって見たくないのに見ちゃうんですよね。なんかそういう、怖いですよね。見たくないのになんかクリックしちゃうような。やっぱそういう仕組み乗ってるから、もうそれはもう自分で全部、あのブロックしてこうと。 僕もAdGuardを入れてLINEにニュース出てこないようにしてます。 大事ですね、あずまさん。 でもそういうニュースから遠ざけてくれというシグナルを、ある意味正しく発信してたのかなっていうような気もする。 そうですね、体がちゃんと反応しているっていう。それがしないままぱったりみたいな場合もあるだろうし、逆になんかタフだから大丈夫みたいな人、常にそれを受け続けてるわけだから、それに慣れてしまうって、それはそれで、なんていうんですかね、自分の感性がこう鈍っていくみたいなのもありそう。 確かにそうですね。 そこAdGuard入れまくってるんですね。 そこAdGuard入れてますね。 いやー、僕鈍っちゃってるのかもしれない。 見てもそれが平気になっちゃうってことは、結構やばいことなんじゃないかなって。 怖いですよね。なんか私も、久しぶりなんかでTwitterのホームみたいな、見たんですよ、タイムライン。 結構やばいっすよね。 なんかもう怖くて、なんでみんな怖いことこんな言ってんのみたいな。これ知らない人にこんな怖いことみんな言ってんのおかしくない?みたいな。 ちょっと普通の社会じゃねえだろっていう感じになっちゃってるし、そこなんか、そのやっぱ今までというかここ15年ぐらい、インターネットで受けるってことがイコールTwitterで受けるってことだったじゃないですか。でももはやあんまここで受けたくないなみたいな。 めっちゃわかります。 なんかね、結構僕にとっては終わっちゃった地元みたいな。 あー、でもわかる。 そこで生まれ育って、まあ愛着みたいなのあるけど今の姿はちょっと見てらんないし地元ここですって言いたくないなみたいな感じでめっちゃわかる。というのを考えて、もうTwitterで受けようとは思わなくなりました。 寂しいですね。 寂しいかもしれないですね。それだし、その数としてはやっぱたくさん見てる人が多いわけです。 Blueskyはどうですか? Blueskyはすごいですよ。 すごい。 すごいあのー、おすすめですよ。無風なんで。時々なんか100いいねとかもらえたら僕にとって大バズり。 でもなんかわかります。なんか私もなんかインスタとかで何万人からいいねもらうよりかなんか親しい友達向けにちょっと面白いストーリーみたいなのあげて友達から3いいねとかもらうのが嬉しい。なんか満足。 顔が見えて性格がわかっている人からの方がある… しこの人から認められたみたいな方がある。 ちょっとねなんか、全体的に数にとらわれすぎているというか何人に受けるっていうのがあまりに絶対的な指標になりすぎている気はする。 いやー、それは本当ありますね。 本当に自分にとって嬉しいことは何かとかもうちょっとちゃんとみんななんか考え直した方が確かに。 まあでも、バズったことない人にはその感覚わかんないかもしれないなとも思うけどというか、何度も何度もバズった上でのそういう気持ちがあるような気がしてバズったことない人にとっては、未だにバズは輝いているような気がする。そうかもな、逆に。 あー本当ですか? なんじゃないかなと思うけどでそれにある意味飽きるほど多分バズった後で、そう思うのかもしれないなっていうちょっと思った。そうでもない? 藤原さんはもうね、バズりにバズり、バズり散らかしいバズるって下品な言葉ですよ。 恥ずかしいですよ。 そうか、えっと違う言い方した方が… あんま言わなくなりましたね、バズるとか。恥ずかしいから。 僕はそんなバズったことがないから、なんていうかいや1万いいねもあったらやっぱ嬉しいよなって、心の中で僕はまだ思っちゃうところがあって嬉しいですよ。 めっちゃ嬉しいんですけど、やっぱなんかそれをやっぱ目標にしちゃうというかそれは違うじゃないですか。1万いいねの… ために今思いついたことを形にするにあたって、これは1万いいね行くだろうかみたいな変な外部の指標が自分の中に内面化されちゃう。 でもなんかこれはなんか私にとっては1万いいねなんですけどまあ人によってはなんか、まるまる先生から褒められるだろうかとかもしかしたらなんかこれで昇進できるだろうかみたいなことになんか置き換えられるのかなと思うんですけど やっぱそういうこう呪縛みたいな、自分が何かをやるにあたって自分がコントロールできないことに… が指標になってると、やっぱそこでモチベーションというか それがモチベーションになってると自分の大切な部分とか本当の情熱みたいなところがどんどん置き去りにしちゃうんでこの作るリハビリの中で、 本の中で書いてるのがやっぱりその他人から褒められるために何かを作るので 一番大事なことって自分のスキルとか自分がどんだけ面白いものを作るかじゃなくて褒められる人をどれだけ用意できるかっていうことにかかってるじゃないですか。 やっぱその自分が作ったものを人が褒めてくれるか褒められないかってなんか自分ではコントロール下に置けないことだからやっぱそこを評価にして何かを作るっていう風にするともう自分がめちゃめちゃ置き去りになっちゃうからとりあえずそこをどれだけ切り離せるかみたいな やっぱりこう人間だから、作るとか何かをする自分の行動で誰かから褒められたいとか承認されたいっていうのは、 もう切れないものではあるんですけどもやっぱりなんか行動するときに、見ないフリをどれだけできるかみたいなところがなんか自分の課題だったなと思って。 しかもね、受けるのが仕事と直結しちゃってるとより抜け出せない。 そうなんですよね。それがあって… 結構そのものを作ることを、ものを作ったりとか発表したりとかするのをやっていてやめていく人のマインドって、結構そういうの近いのはあるのかも。 僕はインターネットにものを作って発表して受けるみたいなのが嬉しくてもともとやってたりとかしてたんですけどなんか最近なんかもう発表の部分をやらなくなってきてて なんか作るだけ作って、鉄塔さんに喋っておしまいみたいな。 でもなんか結局それで満たされるところはありますよね。 そうなんでしょ。 なんか自分もなんか作って夫に見せて、できたつって夫がなんか苦笑いして終わりみたいなこともあります。あー、そうなんだ。 めっちゃいい関係性じゃないですか。 あ、これこう、ここ開くんだ。そう、これここ開いて、ここボタン押すとか、ふーんなんだ。 面白い。 それ見たいなめっちゃ。 なんかでも、その興味を持たれすぎないことによって安心して見せれるみたいな。 確かに確かに。 なんかわかる気がするというか… 期待されてないから… ものすごい喜ばれると、それはそれでちょっと見せるのしんどい可能性あったかもしれないけど… 期待が大きくなってしまう。 ちょうどいいのありそう。 でもなんかマジで子供ですよね。なんか自分の子供性をちゃんと大切にした方がいい。なんか子供も絶対なんか来た親から期待されて次はどんな工作作ってくれるのかなって言われたら絶対なんか作らなくなるじゃないですか。 それよりかなんかなんか皿とか洗いながら、パッてお母さんに見てあー、すごいねーって言ってもらえるほうがなんか心が楽っていうかもっと見てよっていう方がちょっと次も作ろうって気持ちになるっていうか。自分の子供性を大切にしてこう。 コントロールしてできる部分をコントロ… ールしていくみたいななんか子育ての話みたいになってきますけどその褒めることの害があるみたいな話もちょいちょいあるじゃないですか。なんか褒めすぎると、褒められることが目的になるみたいなのもあるし褒められる程度の、なんていうか褒められないと続かないという 立場の弱い人間というポジションに置かれているという風に解釈するというかなんていうのかな。 褒めてあげなきゃいけない立場って、すごくある種見下されてるというかでも、それへーすごいねって流されるのはなんかむしろ対等に近いというか興味があんまないから、興味ない態度を取っている方がむしろ無理がないしそのぐらいの距離感じゃないと 自分の判断で物を作るってなりにくいというかなんか褒められるとなんか相手に振り回された存在になるし で、無視されてもモチベーションにならないしその間のいいところっていうのがあるような気がします。 まとまってるかな。でも… なんかわかります。こっち娘がまだ赤ちゃんなんでなんか何しても褒めてるっていうか向こうには伝わってるかもあるんですけど、褒められる。 寝返り打っちゃうもう… それがすごい、天才じゃんみたいな。昨日とかはチートス食べたんですよ。あのスナック菓子のチートスをこうボリボリとソファーで食べたら娘がもうなんかはぁ、はぁみたいな。なんか目の色変えてチートス興奮する。初めてチートス見てすっごい興奮して娘が。 で、私の家のソファーは結構段が低いローソファーなんですけどでも上がったことはなかったんですよ。娘まだずりばいぐらいの段階なんで。でもチートスをなんかこう掴もうとして手を伸ばしてで、 なんか奥娘に取られないように奥にやったら登ってきておー… すごい。人生初のそう… ソファー登ったーってなって。 チートス目当てに。 すごい娘がチートスがあるとソファー登るって言ってなんかそれちょっとコントロールしようとしてここに、ここにあるからこっち来なーとか。コントロール、誘導して… 誘導してね。 誘導してコントロール誘導してとかしてなんか今はそういう言葉通じないからこう、自分のコントロール下にいろいろ置けるけどなんか、いつのどのタイミングでこうコントロール下に外れていくんだろうみたいなのなんか不思議。 なんか外れたりなんだろう。逆に 扱いやすくというかなんか言うこと聞いてくれる言葉が通じると言うこと聞かないことと言うことを聞くことの両方ができるようになるから。それはまあどうですかね? まあ楽になるか大変になるかで言うと、ちょっと楽になるかもしれないけど、別の戦いがまた始まるって感じですよね。 へぇー。 あと、最近僕の子供はあの、ザ・メイキングを夜見たがるのよ。 え、なんですか? ザ・メイキングってなんかYouTubeでチャンネルがあるどこだったっけ?なんかサイエンスチャンネルっていう。 あー、なんか教育っぽい。 そう、国系の何かがやっている教育チャンネルで、いいやつなんだ。その中でシリーズで、何々ができるまでみたいな…15分の番組がなんか200個ぐらい流れてるんですよ。 へぇ。 銅像ができるまでとか。 楽しそう。 なんだっけな。ミルクレープができるまでとか。 楽しそう。 あらゆるものができるまでの工場の様子が出てて、で、それはあの、子供にも見せたいなとは思ってたんですけど…最近もう寝る前に、これ、これとこれ見るみたいな感じで…俺としてはしめしめみたいな感じなんですけど。 教育的な いいものを 好んでみてくれ。 でもなんかそうなるように仕向けているんじゃないだろうかみたいなのもあり… その なんか 子どもを コントロールしてるのでは。 寝る前に1個だけだよみたいな感じで、あたかもご褒美みたいな感じで見せることで…全部じゃない、ソシャゲみたいな感じでちょっとずつ、小出し小出しで毎日出すことで、癖にさせてるみたいな。 確かに、それがいいのか悪いのか分かんないですよね。 操作してるよな、俺って。 どうせコントロールできないから、そのぐらいできたとしても、いいんじゃないですか。 確かに、そのぐらいのコントロールは別に。 実はしてたんだよって、後で言ってもいい。 実はお前は全部操作されてたんだよって、仕組まれてたんだ、君がこういう人間になることはみたいな。 いやー、でも操作されてる部分もあるしな。 私、自分の親とかをこう、顧みるとなんか、操作されてたなーみたいな部分はありますよ。ありますね、私は。父親が結構音楽好きで、なんかそういうクリエイティブな… よくあるエピソードですよね。クリエイターあるあるみたいな。親があんまり別に自分で聞こうとしたことはないんですけど気がついたらなんか、ジャズが流れてたんですよね。 そんな感じで、なんかもう、家で絶対朝起きたら母親も結構そういう音楽が好きだったんで母親が、だいたいなんかビーチボーイズをずっと朝流してて… 文化資本じゃないですか。で… そう、うちの父親はなんかCDと本は買い放題だったんですよ。 えぇー、すごー。 ねだったら絶対、CDと本だったらいくらでも買ってくれる。 めちゃめちゃいい環境。 そういうの絶対こうなるように仕組まれてたなーって思ったんですよね。漫画は買ってくれないから、じゃあ小説とかになるし。CDも、なんか買ってくれるんだったら買ってもらった方がいいなーって。 まあでも親がある程度それ好きじゃないとできない仕組みですよね。ただまあ、自然と言えば自然だけど仕組まれてもいる。 まあ教育って全部そうだと言えば言える。 うん、まあでも親が興味ないのに教えようとするとだいたい失敗するんじゃないかなって気はしててあー、 英語とかそうです。 うん、そうじゃないタイプの仕組み方は成功するのかもなっていう。シンプルに遺伝と思ってもいいんじゃないかなと思いますけどね。何仕組みます? 何仕組んでいこうかなー。 仕組みを仕組みましょうみんな。 仕組んでいこうか。 人生を。 自分の子供の人生をコントロールしよう。 絶対コントロールできないけど。でも一応コントロールしようっていう風な気持ちを持つことが大事なんですかね。 うん、いいと思いますよ僕。敬意を持ってやれば。 いや、めっちゃ難しいですけどね、そのバランスが。 うん、 ちゃんとリスペクトはない とでもなんか一番その、まだ赤ちゃんなんでも全然興味とか全くわからない状態ですけどなんかスポーツとかに興味持ったら私も夫も全くスポーツ経験が ないし なんか何の興味もないんですよスポーツに。どうしようみたいな。サッカーやりたいとかサッカーの試合見に行きたいとか言われてなんかほんと興味ないけど連れて行くじゃないですか。子供が行きたいって言ったらなんかそういうのが でもなんかポップコーンとか売ってんじゃないですか。 これ、 これ食べて これ、何がどうなったら何が勝ちかも子供に聞いてまあ、 同じスタートラインで楽しめる良さはあるかなって気がしますけど。 でもなんか私、それ思い出したのが超マセてて小学校の時にSAKEROCK、星野源のバンドがめっちゃ好きであの、東京までライブ見に行きたいって言って鶯谷のキネマ倶楽部、 小6とかでお父さん連れてってもらっていてお父さん全く興味ないのにずっとSAKEROCKのライブ一緒に見てくれてました。 いい話。 いい話だ。 なんか自分もそういうことをしなければと思いましたね。 でも本当そういうのは結構あるなと思います。なんか親が子供に対してできることってなんかそういう子にやってごらんみたいなのもあるけど基本的にはもう子供の好奇心を殺さないことだけだなみたいな確かに。のはめっちゃ思うんですよね。特になんかこれからどんどんAIが全部教えてくれるになるじゃないですか。 多分なんかその持ってる情報量の差とかじゃなくてなんかいかにその学びたい意欲を失わずにいられるかとかなんか知りたいみたいな気持ちを 殺さないまま大人になれるかみたいなのはめっちゃ大事だなとは思います。 じゃあそう思います。なんかそれでも子供だけじゃなくて、なんか自分も本当そうだなと思います。本当にAIで何かを失敗することがなんかどんどん恥ずかしくなっているような気がして、なんかそういえば、 なんかYouTubeとか見ててもこういう家を買うやつはバカみたいな、なんか100選とか100選とか、こういう中古物件買うなみたいな。なんか失敗だらけのなんとかみたいな、 なんかそういうなんか本当失敗するやつバカみたいなものをなんかめっちゃそういう動画とか流れてきたりするし、なんかちょっと調べればわかるじゃんみたいなことが多すぎて、なんか調べずに失敗した自分がすごいどんどんバカだってなっちゃって。 でもね、藤原さんの作るものってかなりの割合がこう調べずに失敗するという行為が、なんか作品として紹介されてる感じがしますよね。 そうなんですよ。そうなんですよ。無駄づくりってプロジェクトでは、もうガンガンこう無駄なもの作って失敗して面白いってなってるんですけど、なんかこうプライベートで例えば、なんか子供生まれるからって家買ったりとかしたんですけど、なんかそういうのとかもなんか、もしかしたら失敗しちゃったかも、 この家私騙されたみたいなのとか、結構なんか大きな人生の節目とかで、そうなんかめちゃめちゃこう失敗したかもしれないとか、失敗した私はちょっと調べれば、AIとかに聞けばすぐ分かる、答えが分かったのに、 なんで私はこんな非効率なことをやってるんだろうみたいな感じで、なんかどんどん失敗のハードルが上がってって、それがなんか行動を避けちゃってるような気がして。 でもこの作るリハビリの中でも、なんかこういかに自分でちゃんと失敗をやるかみたいなのが書いてありますよね。 そうなんですよ。意識的に失敗していこうと思いました。 なんかやってみてダメだったみたいなのを、いかにたくさんやるかみたいな なんか書いてあって、すごい印象的だったのは完成させることで、なんか自分の可能性を潰していくみたいな、それが大事なんだみたいなのが書いてあって。 ありがとうございます。可能性って潰してなんぼだと思って。 それね、すごい誰も言ってないけど可能性を潰せと思うんですよ。 だから本にも書いたんですけど、なんかもう自分はずっとなんか女優になりたい欲求が小さい頃からあって、ずっとなんかお芝居やりたいと思ってたけど、お芝居やらずにここまで32歳になっちゃって。でも、でもお芝居やってないか、お芝居できるかもしれないという可能性があるから、常にね。 そう、常にあるから、例えば朝ドラとか見てても、私の方が絶対この役できるわみたいな。なんかそういう可能性があるからこそ、できるわ。なのにこの女優が、なんかそこまでは思わないけど、なんかそういうの嫉妬じゃないけど、なんかそういうの多分ある。 ありますね。 できないっていうのをちゃんと、なんか可能性を潰さないと、次に絶対つながらないと思うんですよ。 なんかビシバシ可能性を潰していこうみたいなのって、なかなかそうはなれないというか。 だから料理もそう、できるかもしれないって思わずに、もうやって失敗して超まずいものが出来上がった方が、じゃあ次これやったら失敗しないかもとか、次あれやろうみたいな、絶対次の行動のタスクが見えてくる。ガンガンもう可能性が見えたら潰す。 見えた瞬間に。 見えた瞬間に、お前はできない。 顔を出した瞬間にバコーンって。 潰したつもりで、なんかこう、これならいけそうみたいなのが逆に見えるパターン、結構出てきますよね。 うん、でもね、それ結構楽しいですよね。例えばなんかお芝居だったら、なんかヘタウマみたいなので棒読み演技が受けたりとかしたら、棒読み演技でなんか面白くて、みんな笑ってくれるんだと、そっちでなんかあるかもみたいな、なんかこう脈が見つかったりとかすると、 なんかそれもそれで面白い、なんか人生を動かしてくれる感じがしますよね。 可能性を中途半端に抱え続けてる状態って、結構実は窮屈というか。 いやー、ほんとそう思います。 自分の手が埋まってるから、ずっとなんかもう新しいもの拾えない状態というか。 可能性って思ってることって、ちょっとやってみたいけど、そのやってみるっていう、なんか何かこうコストをかけて行動を起こすのって、自分を大事にしてないってなかなかできないことだったりすると思うんですけど でもやってみたいよなと思って、でもそこまで自分の時間とか自分の気持ちを大事にできないと、それをやらずに溜め込んじゃうっていうのがあるような気がして。 結局やってみたいと思っていることを、わりと素直に後押ししていることのようにも見えるなと思って。パラグライダーやってみたいとうっすら思っている人はたくさんいるけど、実際にやった人は少ないみたいな話、何かで聞いたことあるんですけど、 そういうやつって無数にあって、結局それ、犬も歩けば棒に当たるって言葉が好きなんですけど、良いことか悪いことかさておき、とにかく歩いて棒に当たる方が良いみたいな気がしてて、潰すといえば潰してるけどシンプルに、 なんだかんだ言ってやってみたいとうっすら思っていることを実際に行動にするっていう地道な努力というか鍛錬でもあるのかなっていう気がしましたね。 やりたいって思った瞬間にやってできないけど何かができるみたいなこれはできたみたいなのの方が、どんどん間違えていくみたいな方が面白い、自分なりの道がどんどん出てくるような気がしますね。 前のゲストで来てもらった時も僕多分言ってたと思うんですけど藤原麻里菜さんのすごいところは、完成させるのがすごいっていうのがいやー、 そうですよね、ほんと。 この本の中でもやっぱり出てきたんですけどもこれで終わりっていう風に終わらせる能力がめちゃめちゃ高いなっていうそれはもう、こういうスキルだなと思います。 それは本当にもう神から授かった才能で 終わらせの能力 がそれはそれは、多分人からしたらこれで完成はダメだろうって思うところでもういいや、私これ完成でいいですって言っちゃえる人なんですよ。 なんかそれがデイリーポータルZの林さんとなんか喋ってる時になんか特技なんですかって林さんに聞かれて何だろうってあ、私アンケート書くのめっちゃ早いですって。 えぇー。 でなんかたまにこう、なんか例えば問診票とか、なんかなんか書く書くことあるじゃないですか。あれ誰よりも早く書くんですよ私。 逆だ俺。 何にも考えず。 へぇー。 なんかそういうこのもういいやっていうなんかもう走り出しちゃって、終わらせるゴールにたどり着くスピードがめっちゃ、私人よりよく早いのはそうですね、才能だと思う。 ゴールを我慢できないみたいな。 あ、もうそうですね。なんかでも本当可能性を潰す話にもそう流れますけどもなんか可能性があることが嫌なんだ。なんかふんわりどっちつかずのこの状態が 嫌で止 まるか走るか。なのかな。なんなんですかね。なんかね。それがなんか良くもあり悪くもある んですけどでもそれをその、なんか性質を十二分に生かした生き方というか次々とあらゆるものを完成させていくという。 完成できない人はなんか私に相談してほしいです。完成させるんで。 完成コンサルタント。 あ、これ完成じゃないって言った。 完成外来。 これどうですかねっていうものがあった。あ、ここのなんかへこみだけ直したら、もう完成でいいと思う。ちょっと一個だけこれで完成っていうのがちょっとなんか受け入れられない人もいると思うんで。ここだけちょっと直したら、もうこれ完成だね。 そう、 なんだろう。銀行こう、銀行のなんかこうシステム移管プロジェクトとかで一人藤原さんがこう、一人藤原さんがこう、一人藤原さんがこうメンバーとしていたらこれでもう一回完成にしましょう。 一回これで完成してちょっとバグあったらもう一回溜めればいいんじゃないですか。 次のフェーズでって。次のフェーズでってよく出てきますけどね。 藤原さんみたいな人が一人いることでこれから30年続くプロジェクトが一回完成しちゃうみたいなことがあるかもしれない。 でも完成って結構責任を取る行為でもあるなとすごい思ってて これは確かにそうですね。やっぱりダメでしたみたいなのも完成じゃないですか。 ダメでもダメじゃなくても結論を出してるっていうのはすごい頼もしい側面もあるなという気もしますね。 結論出すのって、みんな怖いですよね。小説書いてるんだとか終わらせて出してもうダメでしたってなるのって、めっちゃ怖い。 そうなんですよね。それもありますよね。なんかを作ってますっていう人って、作りきれないでどっちつかずの状態であることが、やっぱなんか変に心地いい部分もあるじゃないですか。完成させちゃうと、やっぱ評価に上がっちゃう。 次のフェーズが評価になっちゃうと、小説書いて発表したけど誰からも読まれなかったとかになると、 やっぱ その失敗とか、自分の思った期待通りにならなかった結果が怖すぎてやっぱ完成できないっていうのが、どうしてもやっぱなんか作ってる とあるんで完成をしぶっちゃいます。 そう、もうとりあえずほんと完成させて、読まれなかったら大爆笑すればいいか。誰からも読まれねえじゃん。ゲラゲラゲラゲラって一人で笑って、ドアッハッハーって。こんなに頑張って書いたのに、 爆笑みたいな。 なんかそういうのであろうと、私はなんかちょっと回復してた時に思ったんですよ。なんかよく例えで使うのが、なんか大きな木の実があったとして、それを割ってなんか食べようと思って、 頑張って割ったけど割れなくて、なんかみんな、村のみんな集めて、村のみんなで一生懸命割って、なんか藤原が大きな実見つけてきたぞって、一生懸命バーって割って、パカッて開けたら、すっごいちっちゃい実しか入ってなくて、じゃあ藤原ちょっと食べてみ? って言って、 食べたらめっちゃまずかったっていう時に、なんか笑えるか悲しむかの、どっちかだと思うんですけど、そういう時に、なんかもうめっちゃ爆笑して、 笑うしかないぐらい、 もうめっちゃ爆笑しようと思ったんですよ。そこでこう悲しんだら、やっぱなんか悲劇になっちゃうんで。 確かに、リアクションで喜劇か悲劇かが定まるみたいなのありますね。 辛い気持ちは、自分が作った作品が認められないとか、辛い、心がギューってなるような、なんか惨めだったりとかする気持ちはありつつも、やっぱもうとりあえず、なんか大爆笑。 大爆笑して、ずこーって言っておならプーってしてグーって寝て次の日ほな、 さいなら。 次の日なんかご飯バーって食べてってやったら多分なんか人生が回ってくと思うんで。 柔道とかでもね、最初に受け身だったらバーンってなんか手で床を叩くやつやりますけど、 攻撃じゃないけど、なんかまあ自分が失敗したりとかまあ他人から攻撃されることもそうですよね。なんかお前の絵下手じゃんとかお前つまんねーよみたいなの言われた時の受け身の取り方みたいなのを一回ちょっと自分で決めて、 大爆笑するとかご飯を食べるみたいなのを決めて、それしたらもう失敗し放題だと思います。 受け身の取り方って、成功した時の反応はみんな喜べばいいけど、受け身はなんかやり方がいろいろなんだろう、流儀があって面白いですね。 なんかなかったことにするとか。 確かに人によって違いそうですよね。 実際なかったことにしている人はなかったことにするっていう大事な箱になんかすごく永遠にちゃんとしまってる可能性もあるし、なかったことに絶対できないからなんかどう取り組んでる自分だったらどうかなとか思っちゃうけど、大爆笑はいいですね。 見てて周りも清々しい。 なんかギャグ漫画みたいなガビーンとか言って 売れんのかーいみたいな。この本は売れてほしいですけどね。 売れてほしい。 藤原さん、ちょっと話変わるんですけど、本めっちゃ書いてますよね?今何冊目ですか? 最初が、無駄なことを続けるためにっていう本を書いて考える術っていう本を書いてその次多分、雑に作るっていうあの、石川さんとか、デイリーポータル、ギャル電さんとかと3人で書いた本があってあと、 あの工作本が1冊あってあの、無駄なマシンを発明したいと思うんですけどArduinoとかもあとはエッセイですね。不器用の形っていう、なんか変なものをずっと作るエッセイとあと、 文學界でずっと連載してたメルカリで知らん子の絵を買うっていうまとまった本がめっちゃ多作ですよね。全然売れてないんですけど ズコーって 書いてくれませんかって言われていいですよ。 売れてますけどこちらは構いませんよみたいな。 こちらはスケジュール的には大丈夫ですけど全然暇なのに。 すごいな。それはその本って、人によってまあ僕は書いたことないんであれですけどなんかこう、出るのにこう、思ってた納期からだいぶ時間かかってみたいなとかあるじゃないですか。これは伸びました? 超延びました。これもう伸びちゃって で、その間にもう、妊娠と出産もこれあったんでそう、なんか結構かけない時期もありました。つわりとかすっごいひ どかったんでだいぶ様々なトラブルを乗り越えて 乗り越えて、そう、でもなんか良かったです。なんかパニック障害とか、うつになったのは結構前なんですけどなんかそっからこう減ってこうだんだん回復してで、でなんかさらにこう妊娠とか出産とかっていうなんかハードなかなりね 負荷のかかることもありながらもうやっぱなんかリハビリをして回復してたおかげが全然作れない本当にこう作れない時期子供のこと面倒見なきゃとか そういう時期もやっぱなんか別に作んなくても自分は自分だし自分は自分だしみたいななんかその 何かをしなくても創造性はあるみたいなのも確信があるなっていうのを感じたんですげー! それまともに食らったのが僕です。子供を育てるようになっても作れないみたいな。 でもなんかそのもうそのそこの空白を経験してたからだと思います。でも本当になんかやっぱね子育てって赤ちゃん面倒見てるとやっぱ目離せない からいやもうそうですよ。 それはすごいちょっと見てないとそう思いますね。可愛いですけどね。 でももう一回なんかもう高地トレーニングみたいな感じで作れない自分を受け入れてみたいなのができてるからもう産後も別に めっちゃもう超元気でしたもう。でも私が多分ラッキーだったのAIがもうあったんでもうタイミングでタイミング的に もうなんかバイブコーディングとかできるからなんかこういうアプリがあったらいいなとか例えば寝かしつけしてるときとかになんかこのBPMに合わせてなんか音楽が鳴るアプリがあったりとかでなんかChatGPTとかに言って なんかこうだったら作れるんじゃないですかみたいな。 だいぶClaude Codeでこうずっと開発中毒になってますみたいなことをDiscordかなに書いたときにそれは私でもあるってコメントしてた。どんな感じでやってるのかなとちょっと聞いてみたかったんですけど。 なんかちゃんと多分今使ってるのはなんかウェブで使うアプリかなんですけどなんかご褒美タスクみたいなのでタスク管理なんですけどご褒美とつなげてこのタスク完了したらこのご褒美が解放されるみたいなのを作りました。 自分で設定してできるってことですよね? でもなんか結局なんか作ったけど使ってないみたいなめっちゃありますね。めっちゃ頑張って開発したのに全然今使ってない。 でも作ったらどうなるんだろうっていう好奇心は満たされるみたいな。 作れたみたいな。やっぱなんかこうなんか風に乗るようになんか集中してふわーんって開発するのってめっちゃ気持ちよかった。 気持ちいいですね。 なんか別にその目的地にどうしても行きたいわけじゃないけどただ風に乗ってそのどこかに飛んでいくのが楽しいみたいな。 なんか物と違って部屋が狭くならないし、料理と違って必ずしも食べなくていい。失敗してもまずくても別にどうなったか見てふーんって終わってもいいっていう。 でもいいものがたまにできて、しかもその風にっていうのはなんかAIの言うことをなんかある程度うーん、そういう感じにしてって言いながら、でもいや、でもここ違うかなみたいな、その塩梅を。 まっすぐな道じゃないんですよね。ふんわりこうあれ、右に逸れたり左に逸れたりしながら目的地に向かっていく。 うーん、いいですね。風まかせのタイミングもあれば。 風まかせ開発。やっぱなんかそれが一番気持ちいいですよね。なんかハードウェアもそうなんですけど、風まかせにFusionとかであれ、やっぱこれなんかもうちょっとここ丸みあった方がかわいいなとか言って、なんかモデリング3Dプリントして、あれ、 やっぱ丸みなかった方がかっこよかった。直してプリントしてみたいなのをずっとなんか続けて、いつの間にかなんかこれ完成だなって言って出すみたいなのが自分は気持ちいいです。 いや、なんか複数人で開発してると絶対できないスタイルが今できてることが。幸せというか。 幸せですね。やっぱなんか、一人プロジェクト絶対大事です。 誰に誰も傷つけずにボツにできるから。 どんだけ1年以上時間かけたやつもボツにできますから。やっぱいいやこれ、 ってはははって言って。 リハビリは基本的に全部人を巻き込まない形でやってますよね。 そうですね、自分一人でテーマが手触りとか感情とか身体と精神みたいなところが、やっぱ自分の中でテーマだったので。なんか やっぱ テーマが 全部自分のみで完結するものが。 そうです。 それは結構クリエイティブの最小単位というか、本当に自分だけで始めて自分だけで終わらせるっていうのをいろいろ繰り返していく中で、いろんなことが分かったりとかタフになっていくというか、失敗を受け入れられるようになって。 自分自身があんまり人と一緒にプロジェクトをやったことがないのもあるんですけど、やっぱり一人で自分に集中して、自分の感覚でやっていくみたいな気持ちよさみたいなのがまず一番のものを作るとか、 何か何かクリエイティブなことをする上での肝だと思う。それを取り戻すみたいな感じですね。 本当にこれはどういう人が必要とするのか。結構物を作っていたことができなくなってきている人と、 でもそうじゃない人にも普通になんか響く言葉がいっぱいあるんじゃないかなっていう感じは。 確かにね、大人になるにあたって別に何かこう自分で物を作るみたいなところに特に惹かれることなく、生活に入ることなく過ごしてきた人の中でも、こうスッと取り入れられるような。たくさんありますよね。なんか日記の延長みたいな。 なんか小学校の時面白かったのな自分みたいな人に。あれ、俺小学校の時結構面白かったよな。今なんかあんま面白いこと思いつかないなみたいな人にも、ぜひ読んでほしいですね。なんかまあ、何か作るとかじゃなくても。 作るリハビリっていう本で、作ることがメインにはなってくるんですけど、なんか面白いこと思いつきたいのに何かなみたいな、あれみたいなのにもぜひ読んでほしいです。 自己評価を外在化させてしまっていることの辛さっていう意味では、それはなんかもうほとんどの人に当てはまるぐらい思っていて。なんかもちろん作るっていう人にはすごく共感することが多いなと思いつつ このべき思考のあたりはかなり抽象度が高いというかどんな人にもある落とし穴にちゃんと落ちて、 そこから出てくる過程として読めるんじゃないかっていう気がして 誰しもがハマっている。 でその落とし穴に落ちるところから書いてあるような感じがして すごく貴重だなと思ったんですよね。 確かに、めっちゃ私なんかまんまと大きい穴に絶対落ちるよそこってところにパッパッパーっていって どんどんど自分だけが落ちたんじゃないかと思っている、たくさんの人を救うと思うんですよね。そのべきもそうだけど、いろんな他にもあるような気がする。 でも、なんかおそらく何が本当に好きで物を作っているのかっていうのがなんか数年前分かんなかったのが、今は分かるようになってるんじゃないかなって、なんとなく感じたんですけど 複雑すぎるじゃないですか。 本当に粘土を触って気持ちいいっていうのもあるし、人に見せて反応があるのも面白いし、なんかそれが一人歩きして誰かが真似してるのも面白いかもしれないし、でもそのどの部分が自分のツボなのかっていうのは正直わかんないけど、 24のワークの中で一つ一つこれは面白くない、これは不快、これは楽しいっていうのを大量に積み上がった書類の中からこう栞を探すみたいな。そういう作業してるような感じがして、だから作るって言ってるけど、 その作るの中身についてめちゃめちゃこうディティールを掘ったというか、そういう探究みたいなところもあったのかなっていう印象が。 本当そうです。本当そうです。なんか人から褒められるとか、人から反応が来るっていうのも、なんかめっちゃ気持ちいいことですよね。で、 なんかいいリアクションもらうとか、期待通りのリアクションもらうって、まあ本当子供に戻るっていう意味では、なんか子供もやっぱり、例えば3歳児とか、なんかボタンを押してピコって光ったら、アーってなるじゃないですか。 なんかそういうのがどんどん大人になっていく感じで、自分が美味しいと思うケーキを出して、人が食べて、美味しいって言ったら、アーってなる。 キャッキャッキャまずいって言ったら、えっ? みたいな戸惑う、みたいな。やっぱ そういう なんか 心の中の3歳児がどんどん 大きくなってっただけなのでその やっぱ 何かを 自分を作って人が それを 何か 自分のものを 経験して期待どおりの反応を くれるか くれないかでやっぱ 自分の 中の反応も 変わってきて みたいなところで プリミティブに考えるとめっちゃ楽しい、気持ちいいことなんですけど、 パチンコとかする音みたいな感じで、何かをして反応がバーって反応が来るのってやっぱ気持ちいいけど、やっぱそれがどんどん続いていくとやっぱ過剰になっていって、どんどん不快になっていくとか、そこのバランス感覚とかは、今回のつくるリハビリっていう中でどんどん積み重なって、そのバランス感覚を取り戻していくみたいななんか そこの バランス感覚とか 自分がどう気持ちいいのかとか、どういう時は嫌なのかみたいな ちょこちょこ作品というか、落書きだったりとか、実際に作ったものの絵が挟まってるのいいですね。 トイレに置いてあるカレンダーのそう、 トイレに置いてあるカレンダーに1日1個絵を描くっていうのを、最初のものを作る活動にしたんですよ。その無駄づくりとかが、 無駄づくりとかがどうしてもできないんでカレンダーに1個だけ絵を描くっていうのだけが自分の中の創作活動だった時期があってもう最後に残された その絵も本の中にあるんですけどもうなんか自分が二重顎の自分とか飼い猫の絵とか、 アンパンマンの絵とか。 いやでも、後から見るとなんかこう愛らしいですよね。 このなんか誰かわからないおじさんの絵が急に描いてある。 これはぐんぴぃさんでしょ? そう、YouTuberの絵を描いて でもなんか、読んでる人にハードルをこうやって下げるんだよっていう手本のような見え方もします。 土井善晴先生の本の中で味噌汁はこんなんでいいんですって写真が載ってて、最後らへんになんかトマトがぶち込んであるみたいな 土井先生の ね実例として、こんなんでいいんだっていうのが分かるって結構大事なことですね。やっぱちゃんとしたものを載せるじゃないですか。載せるなら、こうアーティストとして名を冠して出すのであればみたいな そうじゃなくて、本当に最小限の自分のちゃんとあからさま載ってるって 土井先生の本のおかげで料理作れるようになったといっても過言ではないですかね。 でもなんか、土井先生がなんか情熱大陸かなんかの中でお料理教室みたいなのに生徒たちがいっぱい来てて土井先生が最初に おいしい料理を作ろうと思わないでください、料理を作るんですって言っててかっこよすぎておいしいものを作るって目的で料理を作るな。 料理の作り方を学んで料理を作りなさいって言っててなんかそれが結構心に来ていいものを作ろうと思って物を作るんじゃなくて物を作ろうと思って物を作ろうって思ったんです。 あの本にも載ってますけどはい。そういう意識的にいやー物を作ろうとすると、いいものを作ろうとしちゃいますよね。 そう、なんかでも料理ってやっぱおいしいものを作らなきゃってなんかそういう縛りみたいなのが ありますね。 料理の作り方を学ぶのだから料理ができたら大成功なんですよね。 おいしくなくても、別に完成したらとりあえずいいじゃんっていう でもなんか、土井善晴先生は料理ができない人の気持ちが分かるってことなんですかね?ああいう人が料理をする時のなんか心理的なハードルをなんで理解できるのかが逆に分からないっていうか、 料理づくめで生きてきた人生の中で。 なんかいいものを作ろうと思って、いいものをいっぱい作ってきた人がいいものを作らなくていいんですって言わなそうじゃないですか。 それはなんかやっぱあるんじゃないですか。藤原さん的な期間が。 そうなのかもしれない。 変やみたいなタイミングがあったのかもしれない。 でもなんか、作るのって創造的なことっていう風に言われるけど、いや、ちょっと話つながるかちょっと分かんないですけど、実は作るのって単なる消費活動の一種でしかないんじゃないかみたいなことをちょっと思う時があって、だからそれは、 ゲームして楽しいっていうのと作って楽しいっていうのが同じような種類のもので、そう思うと、今日作ったか作ってないかっていうのがなんかすごく小さいっていうか、良くも悪くも小さいことに思えるというか。 あまりにこう、作るっていうことを高いところに置きすぎちゃってるみたいな。 そういうのももしかしてあったりする場合もあるのかなと思って。作ることが創造的ではないとは言わないけど、とは限らないくらいのことで。 自炊って別にそんなクリエイティブさ求められないけど、クリエイティブではあるみたいな。だからなんか、ものづくりの自炊みたいな行為なのかなと思いますね。この本に載ってるのは。 そこまで落としていいんじゃないかなというか。 料理を家で作るときに、いや、こんなんじゃお店出せないよみたいなことを言われたりとかしないじゃないですか。そんなんでなんかビブグルマン行けんのみたいな ことを自分で考えてやめたりとかしないじゃないですか。 でもなんかこう、ちょっとギター練習してみようかなっていうときに、いやー、こんなんちょっと自分が練習したって別にこれからメジャーデビューするわけでもなしみたいな、ちょっとよぎっちゃったりとか、人に見せるでもなしみたいなことを。言っちゃうけど、でも自炊的になんかものを作るとか表現するとかって、なんか結構根幹の部分で大事というか。 なんかそれに近いことをたくさんやっているのかなと思いますね。 なんかほんと自炊もほんとそう。なんかイメージ的にほんとそうで、なんかキッチンって絶対どの家にもあるのに、なんか物を作るスペースってなんかほんとニッチな趣味の人の家にしかないじゃないですか。 でもなんか実はこう物を作ること、まあ芸術的なものもそうだし、なんか私がやって無駄づくり的なこともそうだし、なんかもっと言うと日曜大工みたいな、あずまさんとか生活治具みたいな、なんかこう自分と例えば家とか 人とか社会とかの間にある隙間を絶対なんか自分が作ったものでしか埋められないと思うんですよ。 例えば自分の持っている家具と家具の間にどうしてもスペースがあって、そこに何かを収納したいという時に作れる。何かそこに絶対ぴったりはまるもの、市販のもので絶対売ってないから、自分で木を切ったりして、 パーツを切り出して作ってピタって隙間にはめて、自分の用途に合ったものを作るみたいな感じで、なんかそれがもっと対人だったりとか、対社会みたいな感じで、 なんか自分はこういう人間だから社会でこういう生きづらさがあって、社会と自分の間になんか隙間があって、なんかその隙間を埋められるものはなんか自分の作品でしか埋めることができなくて、でもそこでいい なんかちょうどいい隙間を埋める作品を作れたらなんかその社会と自分の間に橋渡しができて、 なんかすごいスムーズにこう社会参加できるようなイメージがあるんですよね。なんでこうなんかなんか人から認められるようなものを作るとか、すごいお金を稼げるものを作るとかじゃなくて、 なんか自分と何かの間を埋める自分にしか必要のないものを自分の手で作るみたいなところがなんかやっぱ自炊的な創作とかなのかなと思いますね。 なんだろう。社会的にこう求められている自分っていうものと本当に一主体としての自分っていうものに絶対乖離が現れるじゃないですか。仕事は仕事でこういうことを求められている。なんかその乖離をある意味こう自分が自炊的にものを作るっていうことでちょっと埋めてくれるっていう。 そうですね、本当に。 別にそれによってどこか遠くに行けるっていうわけでもないけども ちょっと思っているのと違うことをしている自分も含めて自分だというふうに受け入れられるような…ちょっとすごい難しいですけど連続性を持たせられるみたいななんかそういうところがある気がします。 仮に売ってあったとしても作るみたいな時ってあるじゃないですか。で、それってそれこそ無駄っていうか合理性はないけど反対意見をいつでも言えるぞっていう 表明のような気もしているかなっていうか反対意見というかそこにあるもので十分なんだけど 自分はいつでもNOが言えるぞっていう準備がなんか自分で作ることを 自分で作ることというか… ちょっと鉄塔さんが自宅サーバーっていうのと一緒なんですよね。 まあまあ、そうあずまくんがImagecasterを作っているのと一緒だと思う。いざとなればご飯は自分で炊けるけど今日は吉野家の牛丼を食べるっていう。吉野家の牛丼しか牛丼がないのと自分で牛丼を作れて牛丼を食べるのは結構違う気がする。 だいぶ違いますね、確か。 そういう意味での作るっていう側面もなんかあるような気がするな。もちろんまあ、もちろん隙間を埋めたりとか 作らなければ存在しないものを作るっていうこともあるしでも実はS字フック買えば済むことをあえて作ったりするじゃないですか。 作られます。 それって結構そういう世の中に対して、距離を置くための準備の一つでもあるのかな。だからこそ社会と仲良くできるというか、って思いました。それって結構そういう世の中で世の中に対してだからこそちょっと社会と仲良くできると… 社会との距離感をある程度… 後ろに逃げ道を作ることによって前に踏み出せるみたいな… というところで。はい、だいぶ話も深くなってきたところでそろそろお時間の方が終わりになってきましたので。 ありがとうございます。 最後、告知的な感じで本の内容、もうずっと本の内容のこと喋ってましたけども。 ある程度適切に保つために自分で作って本が出ます。先も話した通り、私がもう本当にもうなんかつらくて涙が毎日出てワンワンって泣いてて 何も作れないよってなってったところからまあなんか面白いことを思いつかなくてもいいから考える練習をして 面白いもの形にできなくてもいいからとりあえず 失敗しながらも何かつまんないものを作っていくってところからどんどんリハビリをしていって最終的にこう無駄づくりの作品を一つ作れるようになったっていうところまでを書いているエッセイ。 エッセイなんですかね? エッセイなのかも。 です。なのでぜひ興味のある方なんかみんなもうガンガンなんか物作ったりいろいろ 考えてる方が多いかもしれないんですけど、ちょっとこうなんか疲れてあんま面白いことを思いつかなくなってきたなぁとか、 なんかひらめきたいなぁみたいな方がいらっしゃったらぜひ本を読んでくれたら嬉しいです。 ということでつくるリハビリ、ぜひ読んでみてください。 ありがとうございます。 それではゲストは藤原麻里菜さんでした。 藤原麻里菜でした。 ありがとうございました。ありがとうございます。さようなら。 さようなら。さようなら。 どうぞ。